「進捗は順調のようだな」
低く響く男の声を耳にしながらも、ネーヴェの心はそこには無かった。その様子を知ってか知らずか、男は次の言葉をしばらく発する事は無かった。そうして生まれた沈黙は、相手が破る事を待ち望んだ。
「一つ、聞かせてもらいたい事が」
「ほう、それは?」
「邪晶石……最初に確認されたのは何所でしょう」
 ネーヴェの問いに男は考える。イレギュラーな存在ゆえにそれは出所に近い程に錯綜し、今や何故その情報があるのかも分からない。ただ、知る限りでは――そう口を開く。
「今は使われていない街道で謎の化け物の――君の報告によればおそらく石の影響を受けたものの報告があった際、その付近で発見されたという」
「使われていない街道……とは」
「この国の北端にあったはずの都市、『アクリ・ヴォラス』……そこへ続く街道だ。ある時を境に凶暴な魔物が多数徘徊するようになり、その街との連絡も途切れた。もう十年以上前の話だ」
 場所の割には盛んな地だったのだが……と言った辺りか、男もそこでネーヴェの意図に気付く。
「こんな簡単な事に気付かなかったなんて……いや、早くに気付いていても返り討ち、か」
「成程。今、アクリ・ヴォラスの街道は封鎖されている。手配しておこう」
「感謝します……では」
「いや、少し待ちたまえ」
 すぐに出発の準備をしようと考えたネーヴェだったが、上官に呼びとめられては仕方ない。はやる気持ちを抑え、一度は背を向けた相手に再び向き直る。
「少し様子がおかしいようだが」
「どうしても、この一件を片づけなければならない理由が出来ましたので」
 ネーヴェの脳裏に浮かぶ一人の人物。何故だろうか……いや、理由は何となく理解出来る。あまり適切ではない気もするのだが、彼はそういった事を嫌う性質でもない。現に彼の仲間には明らかにそれっぽい者がいる。

「ほう……だがな、ネーヴェ。物事は理想通りにはなりはしない」
 男はそれを言うと、突如ネーヴェの目つきが変わった事に気付いた。心ここに非ず……そのような雰囲気がたちどころに消え去り、彼の目は男をただ見据えている。
「俺は……」
 しかし、その次の言葉は出なかった。ただ、その目は何かに縋るようにも、或いは何かを訴えかけるようでもあった。
「まあよい、行くがいい」
「……はい」

 扉が閉まると男は本棚から一冊の本を取るとそれを読み始めた。その本に描かれた人物はネーヴェと同じ言葉を彼に訴えかけるが、その通りにはなりはしない。


  *


 二桁の年月はかつての賑わいを覆い隠し、ひび割れた石畳は更に崩れて叫びを上げる。枯れた木の数々が出迎える、この先には何があるのか。少なくともいい物では無いだろうとネーヴェは考えていた。
「アクリ・ヴォラスは行った事があってな」
 ライザが無言を不意に引き裂くと、六つの目は一斉に向きを変える。それを待って彼女は続ける。
「まあ、本当に幼い頃だが……」
「二十数年程前か」
「そんな所だ」
 外套の下から飛んでくる失礼な推察は意にも介されない。その隣を歩く青年の厳しい視線もまた男に介されない。
「首都と同等の賑わいを見せていたように思う。連絡が途絶えたという時も、この国でも指折りの事件と言えた。そして、その原因を調べに言った者は誰も帰ってこなかったという」
「ありがちだなあ、まるで安っぽい伝説のお約束みたいな」
「気を抜きすぎじゃないのか、アウル……この前みたいになるぞ」
「あのさ、ネーヴェの方が、酷かったと思う・ん・ス・け・ど・ねえ? 不意打ち食らったりさ」
 気を抜く同行者を嗜めたかと思ったら自分が煽られる羽目になったネーヴェの心情は他者には察しかねるが、少なくとも彼が顔を背けて唇を噛んでいたのを一人の男は目撃した。
「一応魔法使ったし……俺がやらなきゃアウルも同じ目だったし」
 調子に乗りやがって――帰ったら説教でもくれてやろうかと彼は思った。

 そんな時、ふと空気が変わった――ように、感じられた。
「そろそろだな」
 荷物から地図を取り出すと現在の位置を大まかに確認する。既に封鎖地点とアクリ・ヴォラスの中間まで彼らの足はたどり着いていた。周囲を見渡すと、相変わらず寂れた街道、そして周囲を彩る事の出来ない枯れ木達……その最中に、黒い影。
「ようやく、例の化け物の襲来か」
 それを確認すると、ライザは嬉しそうに舌なめずりをする――山賊の際は事実上の敗北を喫し、彼女は内心で苛々を抱えていた、それをようやく発散出来る。化け物相手ならば人相手に比べれば多少は気兼ねも無い。
「消滅、させてやろうか」
 そして飛び込む。タイミングを見計らっていたのであろう黒い影の主は虚を突かれ……鋭い音が空を切り裂いた時にはその身を二つに分かつ事となった。すかさずライザは追撃し、二四八一六……気づけばそれは粉微塵。
「文字通りだな。骨も無い」
「おい……邪晶石のあれと同様のだろ? 呆気無さすぎねえ……?」
 何だかんだでその一件は若干のトラウマを刻み付けていたのか、アウルは目の前で起こった事を信じられないというような目で見ていた。傍らに佇む男も首を傾げる。
「確かに、雑魚も過ぎる」
「油断さえしなければ、私も強かったと言う事だ。そうだろう!」
 裂き続けたこの短い間に大分鬱憤を晴らしたのか、ライザはまさしくいい笑顔を見せた。
「まあ何でもいいけれど、だからと言って油断はしないように。俺も極力警戒する」
 一方でネーヴェは気を引き締め、かつその足の進行を促す。
「近づくほどに強いのが出る、なんていうのも定石だ」
 若干の嫌な予感を感じつつも、立ち止まった先に彼らは歩いて行った。


  *


「本当に、アクリ・ヴォラスに……!?」
 ヴィアは驚きに満ちた表情でその人物を見ていた。その前方の椅子に座る男は前日に引き続いて本を読んでいた。突然の来訪者は問い詰めるかのように迫る。その表情の中にに満たされている感情は男からすれば見覚えのある物だった。
「ヴィアよ。わざわざ嘘を吐く理由があると思うか……? そもそも、何故それ程の反応を――」
「わたしも行かせて頂きます!」
「……座るといい」
 求めた答えを聞いた彼女はすぐに飛び出そうとした、しかしその手をその上司は掴む。
「そんな暇は――」
「命令だ、君は向かうな。その状態で出せるとでも?」
「――嫌です!」
 少女の目は異常なほどの暗い輝きに満ちていた。首を切り落とされてすらその体だけが動きかねない、それほどに鬼気迫る表情。常人であればたじろぐ程度では済まないであろうそれを、止める事が困難であろう事は男にも理解は出来る。
「命令違反は――」
「申し訳ありません」
「メンダークス」
 その時、再び扉が開くと今度はその少女の相方が現れた。メンダークスは深々と礼をすると、改めて口を開き始める。
「私が付いています。そして、あの地は彼女にとって因縁の場所……或いは、今なのかもしれません。あの石の事を我々は知っています」
「知っている?」
「はい。彼ら……ネーヴェ達も腕は確かなようですが、あの石の事ならば私とヴィアの方がより良く対処できる。どうか行かせてください」
 少女の憎しみに満ちた目とは違い、メンダークスのその目は真っ直ぐに捉えてくる。それは、何かを成す物の目であるような気がする。

 ……一見は。
「そうか……いいだろう。やってみよ」
「感謝します」
 そう言うと、メンダークスはヴィアの手を引いて部屋の外に出た。
「ヴィア。逸る気持ちは分かる……落ち着いて、とは言えない。だけど……」
 目を合わせる。ヴィアの表情が変わる――申し訳なさそうに。
「もし君に何かあったら悲しいから」
「ご……ごめんなさい」
 謝罪の言葉。それに対し、彼は笑う。そこまで気に病む事では無いと。それにつられてヴィアも笑顔になった。そして二人は準備をするために歩いて行く。部屋のドアは開いている――男が廊下に出ると、二人は並んで歩いていた。

「その目……幾度となく見たものだ」
 部屋に再び戻ると、男は部屋に立て掛けられた姿見に目をやった。自身と何かを重ねるように……
「ヴィア、メンダークス……それにネーヴェ。まるで鏡を見るようだ」


  ***


 アクリ・ヴォラスへの道のりは今や一般人では歩めない。かつては多くの人々が行き交ったとされる石畳がその無残な姿を晒している、それはこの道を造った者からしたら憤慨するか……いや、そんな事も出来はしないか。
「一層警戒しろ」
 数多の闇を切り裂き、しかしその目には再び闇が映る。例えこの道に命より重く想いを乗せていたとしても、溢れる闇を見れば怒りも恐怖と絶望に塗り替えられる事だろう。
 そのような場所を歩まなくてはいけない現状、それでも足を止める事は無かった。
「そろそろやめてくれよ、もう足も腕もヘトヘトだってのに」
 進むにつれて敵の数は加速度的に増加していく。弱音を吐いてもその数を減らしてくれるような気遣いを見せてはくれないのだろう。アウルのその手は言葉通りに震えていた。何も知らない者ならば恐怖から来る震えだと思うであろう程には。
 少しは手加減してほしい、そう言葉を続けるアウル。一方で他の三人は黙々と敵を討ち続けていた。

「見ろ」
 十度、二十度現れた全てを切り伏せ再び静寂が訪れた頃、ようやくネーヴェが再び口を開く。彼が指差す先を見た時、一人は溜息を吐き、一人はただ単に息を吐き、もう一人は何も反応を示す事は無かった。
 道が途切れている。いや、その向こうにも道が続いているようには見えるが。
「落石って、なあ」
 山に挟まれたその道は事実上の通行止め。
 目の前の惨状を見ると殊更気力が削がれていくように感じる。とはいえこれで諦める訳にもいかず、彼らは地図を広げると道を探し始めた。


  *


 数刻経った頃に地は同じく、役目を失った街道の中ほど。変わるはずも無く岩が座っている。双方の山によって、そこは玉座の間とでも言うべき雰囲気を漂わせていた。そんな中、雨が降り始める。、
「いい雰囲気だ」
 メンダークスは今に風情を感じているようだった。それを目の前に、魔法陣が展開されていく。
「雷の槌……落ちろ」
 魔法を唱えるのに必要な言葉は本来ならば一言二言では済まない。それを成し遂げるには莫大な魔力が必要である――メンダークスはそれを彼女に見出していた。

 轟音と共に雷が天地を結ぶ。光が消えた頃には、岩は割れ、再び街道は道を開けていた。
「やっぱり、凄い魔力だね」
「貴方の教え方が上手かっただけよ」
 既に夜の帳は降りていた。道の先は暗く、何があるかは見えない。しかし、そこには彼女の故郷が待っているのだ。
「後少しね」
「そう。後少し。これで、終わらせられるかもしれない」
「ええ……絶対に、終わらせてみせる!」
 ヴィアは眼前にある街へ向けて歩き出す。彼女の復讐は最終段階に入っていた。
「復讐……囚われてはいけないよ。もしかしたら、もっと大事な事があるかもしれないんだから」
「そうかもしれないけれど、わたしはそう決めたのよ。何度も言っているけれど」
 共に歩く二人。前方から目を逸らす事も無く、ヴィアはひたすら進んでいく。

「復讐なんて君に出来るはずが無い」
 その声は雨に掻き消えて行った。


  *


 更に数刻。日付こそ変わったが、まだ雨は降っている。ネーヴェ達は半日をかけて迂回し、そしてようやく目的地、アクリ・ヴォラスへとたどり着いた。
「全く、山の中にまで黒いのがひしめいていたらどうしようかと思ったが」
 幸い、迂回が功を奏したのか黒い影との遭遇は街道を歩いていた際と比べ大幅に減少していた。急がば回れとはよく言ったものだ。
「おかげでちっとは休めたし、ここからはスーパーモードって所だな!」
 前日の疲労もどこへやら、アウルはやる気に満ち溢れていた。案外、大事には燃えるタイプなのかもしれない。
「私としては、歯応えが欲しくなって来たな。結局、弱点を突かれれば一撃という奴ばかりだった」
「突ければな」
 中にはその一撃までが遠かった相手もいた。とはいえ、ライザは不満だったらしい。そして彼女もまたやる気を入れ直す。他方、外套の下で何も表情を変えない者もいる。やる気が無い訳では無いのだろうが。

「さて、蛇が出るか……それとも魔王が出るか。未知を確かめてやるとするか」


 アクリ・ヴォラスの建造物は大半が形も残らないほどに破壊されており、本来は道路であった部分であっても幾らかの瓦礫は超えて進まざるを得なかった。しかし、奇妙な事に周辺にはいた黒い影が街の中では見かけない。それでも、一行は警戒を緩める事無く廃墟の街を歩いていく。
「お、あの建物とか珍しく形が残ってるぞ」
 探索開始から二時間程度が経過した頃、彼らは二階建ての建物を発見した。
「そういえば……そろそろ腹が空いてきたな」
 ふと空腹を覚えたネーヴェの提案。警戒は怠らないが、緊張の糸は少し途切れたのか彼の提案に他も乗り、立てつけの悪い扉を開け入ると手近な椅子にそれぞれ腰を掛けた。

「しかし、ここまで酷い有様とは」
「成程、これならば連絡も付かない訳だ。生存者がいるようにも見えないもんな」
 降り注ぐ雨は悲劇的な情景を更に煽る。割れた窓の向こうに広がるものは、目を背けたくなるようなものだった。とはいえ、そこでどれほどの事が起きていたとしても、その悲劇自体が今やるべき事に影響を与えはしない。ネーヴェはただ淡々と次の行動について考え始めていた。
「口の周り拭けよネーヴェ」
「え? …………ああ、ぼーっとしながら食べるとこういう事もよくあるよ」
「子どもじゃねーんだからさ」
 拭いた紙が赤く染まっているのに苦笑いを隠せない。息を吐くと、再び考え始め……その時、目に留まった。ネーヴェは立ち上がると、部屋の棚の上に置かれたスタンドをじっと見つめ始めた。
「どうした」
 濡れた外套を苦にするでも無く、その人物もスタンドを見る。
「姿写しか」
「姿写し? 写真じゃなくてか」
「俺の故郷ではそう言った」
 写真。光のエレメントを用い、特殊な素材の紙に眼前の風景を焼き付けるという技術であり、開発されてからの時間は未だ人の四半生にも満たない。アクリ・ヴォラスが滅びたと想定される時期では最新技術と言えるだろう。
 この技術は、思い出を残す手段として重宝されている。特に、様々な景色だけでなく……人を写し、その記憶を残すのである。


 その写真には三人の人物が写っていた。一人は恰幅良さげな男、一人は優しい笑顔を湛えた女性、もう一人は……
「復讐、ねえ……ヴィア」
 ボソリ、呟く。幸せな生活を送れるはずだったのだろう。それが訳の分からない黒い影に潰された。大切な人も、街も、あらゆる物を失った。その心は、この廃墟を見てもやはり想像がつかない。

「そろそろ行くか?」
 空腹を満たし終えた一行は再び探索を行うべく立ち上がる。しかし、その時だった。

「さて……っ、何だ!?」
 突如、爆発音が響く。音の広がりから遅れネーヴェの目の前に現れたのは、黒い色を伴った衝撃波……邪晶石の力の波動。
「ちょっと待て、何が起きてるんだよ!?」
「これは……大物か」
 衝撃波の向こうに、黒い柱が立ち上る。禍々しい邪気を放ち続けるそれは、間違いなく街の一角から放たれている。それはおそらく、邪晶石の一連の流れの鍵となるであろう物。
「行くぞ」
 否、言われるまでもなく駆け出していた。その目はただ一点を見据え――


(――たすけて―――)
 それもまた突然だった。黒い衝撃波と共にその声が聞こえてきた事は。周囲を見るが、誰も何の反応も示さない。自分だけに聞こえたのか。否か。そしてその声は、ただ一人しか考えられなかった。

 何が起こっているのかは全く分からない。事情もほぼ知りはしない。ただ、何故かその声はネーヴェをより前に進めていくのだった。

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