その昔の事、メンダークスは冒険者であった。世界を駆け巡り、未踏の地、秘境、知られざる遺跡を踏破し、財宝を探す。そのような生き方を選んだ者は少なくは無かった。
 彼は本来、その中の一人で終わるはずであった。表面だけを取り繕い、その実は自らの利益のためならば他者を切り捨てる事も躊躇しないような人間だった。
 その彼が他と違う道を歩む事となったのは言うまでも無く……邪晶石の存在によるものだった。とある場所の探索に際し発見したその石。何で構成されているかを知った彼は、石の力の増幅を図る事とした。
「この石があれば何でも出来る。これは間違いなく究極の財宝だ」
 彼は時に誰かを裏切り、時には死を振りまく事で多くの負の感情を作りだし、憎悪と悲哀を石に吸収させ続けてきた。いつしか肥大化した石は彼を不老にし、闇の異形を作り出す力を与え、そして彼の欲望もまた広がり続けていった。
 そして彼は最大の計画に至る。大都市アクリ・ヴォラスをこの力で以て食らいつくす。その中で彼はヴィアを見つけた。メンダークスは彼女の持つ潜在魔力に目を付け、計画にアクセントを加える事とした。

 幼い子供の純粋な心を憎しみで塗りつぶし、そして彼女の魔力を負のエネルギーとして取り込む。人の所業では無かろう、しかし彼は他者の事など顧みはしない。
 例え彼が笑顔を見せても、それは目の前の相手に向けている訳では無い。いずれ来るであろう自らのためにある世界へと彼は微笑みかけている。


  *


 闇が咆哮すると、それは周囲へと拡散し、新たなる影を作り出した。その数は、数十はいるだろうか。手近な一体をそれまでと同じように処理してみると、これら新たな影の分体達も核となる石を持っているようであった。
「対処法がある時点でマシな部類だ」
 吼えた後にメンダークス……だった、のかもしれない存在はまるで竜の如し形を完成させた。
 周囲に立ち並ぶ黒い影、そして溢れる闇と邪念の瘴気は、その場にいる人々を手を下す事無く殺してしまうであろうほどの威圧感を放つには十分だった――それを横目で見るだけで、ネーヴェはただ黒い影の殲滅のみを考えた。大物を相手取るのに、雑魚に邪魔される事は敗北に繋がると考えた。何をしてでも処理しなければならないと。
 しかし、黒い竜が動き出すとその考えすら甘いのだと言う事を痛感させられる事となる。その爪がネーヴェを狩らんと振り放たれ、それを回避した先でその軌道を見やれば、目を覆いたくなるような事態が起きていたのだから。
「おい、あの影また増えてるぞ!」
 慣れきった仕事、既に手では数えきれないほどの石を砕いたアウルだが、竜爪の跡からはそれを超える数の石が出現している事実には辟易、いや絶望しているかのように見える。
 ライザと、そしてこれまで表情を変えなかった者もその光景には凍り付く他に無い。彼らが考えた定石は前提が崩れ、残された道は一つしか無くなった。
「本体を討つしか無いか……」
 先程までの気迫を微塵も見せられないライザは気付けば洞窟の出口へと走り出していた。それを目にするまでも無く、全員が同じ行動を取る。勝てる気がしない、とはこのような状況なのだろう。そう自嘲する――余裕さえも僅かな時間の間に無くしてしまった。
「どうするんだよ、こんなの! おとぎ話の勇者みたいな奴は出てこないのか!?」
 無い物をねだっても出て来る事も無く、急ぎ黒い影を引き離すと慌てて地上へと昇って行く。そして静寂に包まれた街へと帰還するが、その静寂もすぐに破られ、事態は何も変化を見せていない。黒い竜が背後に迫る――そう思っていたが。
「ん? でかいの、出てこないな」
 振り返ればそこにはやはり黒い影、しかしその親の姿は見えなかった。


「乗り遅れたな」
 退路を塞ぐ竜を前に、ネーヴェはしかし焦りを見せているようには見えなかった。背後に庇うヴィアはこの事態を飲み込めないのと目の前の敵の恐怖に囚われ――その一方で、この状況で慌てていないネーヴェに驚いていた。
「ネーヴェ……あなた、どうして落ち着いてるの……?」
「幸いにも邪魔な影はアウル達が引き付けてくれたからな。偶然ではあるけれど」
 ネーヴェは変わらずヴィアを庇うように、それでいて一歩ずつ下がっていく。再び、洞窟の奥へと。そして、竜もまた、まるで恐怖を煽るかのように少しずつ二人に迫る。余裕、なのだろう。その気になればいつでも抹殺できると。
「でも、こんなの、どうやって」
「コアとなる石を砕けばいい。それだけだろう」
「それを、どうやって!」
 ネーヴェはヴィアを見る。ヴィアもまたネーヴェを見つめる。その視線は外れようとしない。

「――――ははっ」
「何、笑ってるの……おかしく、なったの?」
 突如笑うネーヴェを前に、ヴィアは徐々に恐怖よりも驚きを強めていく。命の危機だというのに。それを知ってか知らずか、ネーヴェは思いがけない一言を放った。
「ヴィアって可愛いな」
「…………………………


  *


 えっ?」
「可愛いな」
 いい物を見せてもらったと、立てた親指が雄大に語る。凄くいい笑顔と共に――しかしその表情が一瞬で別の物に変わる。それは、今度は場面にあったような真剣な物だ。
「お前が力を貸してくれれば、こんな物は一瞬で終わる。やってみないか?」
「はぁ、えっと……どうするの?」
 ヴィアはネーヴェの行動が既に全く分からなくなっていた。返事も思わず気が抜けたような物になってしまう。
「魔法を撃ってくれればいい。俺も併せて撃つ」
 それは、と言い返そうとする。しかし、ネーヴェがそれを本気で、そして何らかの考えがあって言っている事を何故だか感じ取り、開きかけた口を閉ざし……ただ、首を縦に振った。
 魔法陣が展開される、竜はそれを見てもなお新たな動きを見せようとしない。これは竜にとってはチャンスなのだろう。自棄になった一撃をまた吸収し、自らの力を蓄える。そう、目の前の二人はただの糧。敵と見なすまでもないのだ。


 一歩、二歩、……ヴィアを中心に白く、そしてネーヴェを中心に青く陣が広がる。後ろに下がりつつも、集中は魔法を放つ事のみにある。他の事は考えず、ただ意識を一点に集めようとする。
 三歩、四歩、……意識の向きは変えず、それでいてヴィアは唐突に違和感を感じる。
 五歩、六歩……そうだ、先程まであったはずの恐怖が何故か掻き消えている。
 七歩、八歩……それでいながら、あれほどあったはずの憎しみ、復讐の想いの渦巻きもまた感じられない。
 九歩、十歩……そして数多に。唐突にそれは訪れた。ネーヴェが手を振る。打ち合わせはしなかったが、それは合図。光と冷気が線を成し、そして二つが混ざり合い竜へと向かっていく。そしてそれは竜に吸収され……


 そう思ったヴィアはただその呆気ない終わりに口を開く事しか出来なかった。何かが割れたような音、霧散していく闇、何故? どうして?

「見ろ、終わっただろう?」
 ヴィアの肩に手を置きつつ、ネーヴェは満足そうに見えざる空を仰いだ。ヴィアは困惑するしかなかったが……ふと、相方の事を思いだし、闇へと駆け寄る。しかし、そこには何も無い。
 恐怖も憎しみも感謝も、全ての痕跡が無くなっていた。泣けばいいのか喜べばいいのか、どれも彼女の気持ちに合う行動とは言えなかった。
 

  ***


「報告は以上です。これで邪晶石の脅威は消えたと言えるでしょう」
「そうか。ご苦労だったな」
 今日も今日とてその声の主の調子は変わらない。ただ淡々とした報告と受け答えのやり取りのみ。
「強大な力でした。ただ、敵の感情に依りすぎていた事を考えると、放っておいてもいずれ駆逐されたでしょう」
「憎しみや怒りが無ければ霞より脆い、か。確かにそれ程の物では無かったようだな、だが……」
 お前を当てたのは正解だったようだな、そう珍しく褒められるとネーヴェからすれば上司が変な物を食べたかと思わざるをえなくなる。声には出さないが……だが、それは彼にとっては都合のいい事だった。
 もしかしたら、まだ希望はあるかもしれないのだから。


 部屋を出て自室へ向かう。さすがに疲れた――そう思ったためネーヴェは予定を立てた。今日は寝る、と。しかし、部屋の前には見知った顔が立っていた。
「ネーヴェ。ちょっと話いいかしら」
「俺、眠いんだけど」
「いいの? ありがと」
「何で俺の心を捏造するんだ」
 勝手に部屋に入っていくヴィアをしかし邪険にするわけにもいかず、仕方なく椅子に腰を掛ける。普段は会議室としても使うため椅子は四脚ある。しかし、もう一つ買って来る必要が出来てしまった。運んでくるのは面倒なのだが。
 
 話がある、とは言いつつヴィアは中々それを切り出さなかった。ネーヴェも急かす事はせず待つ。そして十分経ったか一分しか経っていないのか、ようやく口が開いた。


「ネーヴェ……メンダークスは、どうして」
 助けてくれた恩人のはずが、本当は黒幕だった。いや、本当にそうなのか。ネーヴェにも真実が分かる事では無かった。ただ、想像でしか話すことは出来ない。
「あの邪心結晶石とやらの気に当てられたんだろう。分かっていてもどうしようもない事だってある」
「本当に……そうなの? 本当は、彼はわたしの事を……」
 涙を流す様を見てはいられない。それでも、目を合わせた。
「本当は……おそらく、お前の思う通りなんだと俺も思う。思う、だけだけれど。真実はまさしく闇の中だからな」
 涙は止まらない。ネーヴェはただじっと見ていたが、ヴィアの方が先に目を逸らし俯いてしまう。
「これじゃあ……何を信じていいのか分からない。ネーヴェはわたしを助けてくれたけれど、メンダークスも初めはわたしを助けてくれたもの」
 喋り終えてからまた少し経過し、涙を流し終えてからもずっとヴィアは俯いていた。その心に負った傷。二重の傷は、そう簡単に癒える物では無い。そもそも、癒える物なのだろうか? それすらネーヴェには想像がつかなかった。それでも、少しでも彼女に対して出来る事は何だろうかと考えた。全身全霊をかけて考えた、その結果。
「俺の事は信じなくていい」
「え?」
「お前が信じたくなった場合だけ信じてくれればいい。都合のいい時にでもな」
 それは解決になるのか。全く分からない、分からないが、その気持ちだけは伝わったらしく、ヴィアは何度も頷いた。
 

  ***


 ある日、部屋を出ると彼はまた与えられた「任務」のための準備について考えるが、それは予期せず止められた。
「ネーヴェ、やたらと難しい顔してるが、まさかまた」
「アウル。いつもの所に集合」
 今回はあまり大事でも無いらしく急ぐ事も無かったため、折角だからとアウルの表情を垣間見てみると凄く嫌そうな顔を見せてくれた。顔が捻じ曲がって見えるくらいだ。
「先にどういう任務か聞かせてもらっていいか?」
「ああ。地盤固めって奴だな、うん」
「好感度上げって奴?」
「そう。で、ポールタニスっていう辺境の村があって、そこに幽霊が出るとか何とかでそれを……どうした?」
 言葉を進めていくと徐々にアウルの口が開いていった。さすがに気になり聞いてみると、思いがけない答えが返ってきた。
「それ、知ってるんだが……いや、知ってるっていうかその」


 場所は移りアエテルタニス王国首都、中央広場。そこにはまたも怪しい集団が話をする光景が出来ていた。ヒソヒソ話もまた聞こえてくる。
「ネーヴェ。ここで集合する必要性が何も無い気がするのだが私の気のせいか?」
「単に交通が便利だし……正直、集合場所について考えるのが面倒で面倒で」
「いや」
 そこで突如、外套の下から声が響いてくる。「四人」の目が一斉にそこに向く。
「ネーヴェは東から、ヴィアは北から歩いてきたな」
「ついでに俺は南から、と」

「すまんなネーヴェ、フォロー出来んようだ」
「そうだな、無理だなこれ」
「え、わたしが北から来て何の話なの」
「実はな……」
「分かった、もうこの話やめよう。行くぞ」
 急ぎ歩き出す――歩き出したところで関係は無い。話は歩きながらでも出来るのだから。外套の男からの話にしばらく聞き入っていたヴィアはそれが終わるとネーヴェの横に出た。ネーヴェが目を逸らすと今度はその方向に回り込む。それを繰り返している内、ネーヴェは目を閉じてしまった。
「ふふっ、可愛いね」
「死ぬほど恥ずかしいから勘弁して頂きたいな……」

 一つの街が滅んだ。その終わりを超えてただ一人生き延びた少女は、終焉の名を関する者達の一員となっている。願わくばその終焉が彼女の最期の日までの安らぎであり続ける事を。


 /


 先刻。
「まだ、希望を捨てないのか」
「貴方は俺の希望を知っているんですね……だったら、尚更」
 男はその目を見ていた。かつては自らもそうであった。しかしそれはいつしか曇り、そして。
「それでも俺がここにいると言う事は、きっと貴方だって」

 そして……いや、それが無い事を祈ってもいいのだろうか。


// Cross sky-endline end?

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