「近い未来に、影が見える。君達に課された、守護の使命――果たしてくれ」
「分かりました……この魂に賭けて誓います」
「……了解です。出来る限りの事を」
「必ずや、その使命果たして見せましょう!」

 数多の光が、雲海へと飛び去った。空より遥か彼方の、地へ。 


神聖国家スノーリウム――その西部に位置する、森に囲まれた街、フォレスティア。この場所には、国内でも有数の大聖堂が存在する。
 ――有数の大聖堂がある、それ以外には何も取り立てるべき物のない街から、その長い物語は始まった。

 
    *


 大聖堂の一室――この教会の要人が鎮座する。目の前にいる人物は、教会全体で見ても十本の指に入る重要人物――あくまで、そうである事のみを意識し、ただ用件を述べる。

「聖天騎士団、帰還したとの事ですが……通しますか?」
「ああ。通してくれ」
 最初から、通す通さないの会話なんて必要なかった。相手はそれを分かっている、せいぜい儀礼的な物だ。それでもこんなことを一々言わなければならない……権力という物は面倒臭い……そう考えざるを得なかった。
 ぶつぶつと――あえて相手に聞こえるように――口走りながら扉を開く。言葉の端々から不満を漏らし、遠回しに自分の意図をアピールする。一方で背後では苦笑が漏れる。それだけで満足だった。
「許可が出た……ウィンディア――様に、失礼の無いように」
危うく、場を崩しそうになる。しかし、保つことは出来た。後は――

 扉の向こうから、深紅の髪の、鎧を着た女性が入ってくる。凛々しい顔立ちで、まるで異世界の戦いの女神を見るかのようだが……彼にとっては見慣れた顔だ。似たような顔も、その部屋で何度も見ている。
 知らない人が見れば美しい女性だろう……だが、昔から知っていれば今更そんな感想は出てこない。恋愛感情を持つような相手でもない。
 騎士団のトップに立つその女性は前に出ると一礼をする――その表情は、妙なぐらい堂々としている。達成感に満ち足りた――そんな顔。そして――

「ウィンディア! ついでにエッジ! やったぞ、あのドラゴンを追い払ったぞ、これで私も並んだぞ! 今日はお祝いしてくれ! 盛大に祝ってくれ!」
 懸命に場を保つ努力をした彼――エッジは、もう雰囲気も何もあったものでは無くなった以上、どうでもいいと判断した。
「よかったな。場を弁えろ。俺より何歳年上だと思っている? 引いては、こいつより何歳年上だと思っている?」
「うっ……?」
 エッジの、まるで凍りつくような視線に晒された女性は途端に表情を強張らせる。
「し、仕方ないだろう……嬉しかったんだから」
「感情をばら撒くのは家に帰ってからにしろ……ここは仮にも偉い人……大司祭様の部屋なんだ……」
「そんなエッジも、今俺の事をこいつって言ったけどな」
 後ろで、まだまだ若い、偉い人――ウィンディアが、笑っている。顔に手を当てるしか無かった。
「はあ……戻ったら、殴るかな」


 何を信じるかは人の自由。仲間を信じる、神を信じる、あるいは自分を信じる。その中で、その地――スノーリウムに住む人々は信仰を選んだ。自らの心に拠り所を作る事で、安定を望んだ。
 その中で創り出されたのが、教会だった。それは神への信心以上に、同様の意思を持つ者達が集まる事による安心感を基としていた。
 そのような始まりの感情を知ってか知らずか、今はその存在は強く、人々の中に無くてはならないものとなっていた。しかし、それによる弊害も起きた。

 やるべき事がもう残っていないエッジは、家に帰るべく聖堂の外に向かって歩いていた。この大聖堂は無駄に大きく、ウィンディアのいる部屋からは歩くと数分かかる。七、八階分階段を下らなければならばい構造には彼からすれば怒りすら覚える程だった。……一方でウィンディアは、別のルートを辿っている。しかしエッジにはそれを試す気にはなれなかった。
 とはいえ、エッジはいわゆる休暇を手に入れた。明日、明後日、明々後日……彼は彼の趣味に時間を費やすことが出来る。その喜びは、表面には見えづらくとも、その足取りにも見て取れる。言うならば、軽やか。
 ……水さえ差されなければ、それが続いたのだが。
「……ん? おい、どうした。何を焦っているんだ」
 汗を流して走ってくる一人の神官に声をかける。その表情にも焦りが見られ、嫌な予感を感じさせる。エッジの中に、ささやかな不安が見え隠れする。
「あ、エ、エッチさ……じゃない、エッジさん!」
「お前、後で懺悔室に来い。で、何があった?」
「実は、本山の司祭長がこちらへ……」
 あまりにも面倒であろう事態に、手を顔に当てざるを得ない。気分最悪、調子不調へ。溜め息も数回。声もまた、機嫌の悪さを反映してしまう。
「……今来てるのか」
「は、はい。どうしましょう? ウィンディア様はいない事にでもしましょうか?」
「そうもいかないだろう。相手は一応偉いんだ、拗ねられても困る。後、俺の負担が重くなりすぎるから出来れば勘弁してほしい。
 俺が言ってくる、お前は俺への言い訳の言葉でも考えているんだな。大丈夫、我らが大司祭様も横に並べるから」
 事情を呑み込めない歩いてきたルートに再び顔を向け、先程までに負を付加した足取りで再び歩き出す。気分の浮き沈みによって、同じ道でもこれほどまでに、
「違うものなのか、ねえ……やれやれ」
 誰に見せるでもなく、肩を竦めるしかない。

「いやはや、ウィンディア君。調子はどうかね?」
 当たりの良い文面とは裏腹に、「本来なら」人を舐め切った態度を隠そうともしないその男は、満場一致で「嫌な奴」という評価になっていた。それでも、立場の都合上会わなければならないという事で、エッジはうんざりしていた。ウィンディアもまた、内心早く終わらないかと考えつつも、表面上は笑顔を見せていた。
 ウィンディアはまだ若い。少なくとも、大人とは言い難い年齢であり、いわゆる「お偉いさん方」から見れば、精々調子に乗ったガキという程度の認識だろう。
「はい。神が日々のお祈りに答えてくださっているのか、このフォレスティアは平和ですよ」
 狂信者の言いなりのような、そんな態度を見せ、機嫌を取る。プライド云々と言うのは彼にはあまり無い。あるのは、厄介事を回避する意のみだった。
 しかし、今回は引っ掛かっていた。普段のような態度ではなく、どこか緊張した面持ちに見える。エッジ、ウィンディア双方それは読み取れた。そして、何かあった、という予想に紐付けるまでそう時間はかからなかった。
「そうかそうか。ならばいいのだ。おお、そうだ。エッジ君にも言いたい事があったのだが――腰痛に効く薬というのは無いかね……?」
「……え、腰?」
 非常に切羽詰まったような表情を見せる司祭長――いや、事実かもしれない。思わず本山司祭長の言葉を聞き返してしまうウィンディア。
「腰ですか。腰に負担のかかる姿勢を可能な限りとらないように。一応、薬ならありますから後で来てください。
 後……手術でも受けたらどうですか? 近頃は腕のいい医者も増えてきたようですから」
 そして、淡々と答えるエッジ。
「そうだな……そうした方がいいだろうな。すまないね」
 嫌な人物であるが、意外と身近な悩みを持っている。そういう意味では、エッジから見ると結局普通の人物でもあった。
 嫌いだが。
「……どれだけ酷い腰痛なんだろうな」
「いや、知る訳が――」
「さて、ウィンディア君、それにエッジ君。知っているかね?」
 そこから一転、更に真剣な面持ちになる事を二人は予測できなかった。一瞬、用が本当に腰だけかと思ってしまったが……どうやら、そうではないらしい。
「面倒事――ですか?」
「……面倒事なら、無くはない。反教会派の一団が、大教会を攻めようとしているとの情報も入っている」
「思いっきり面倒な事じゃないですか……なのに」
 真剣な面持ちではあるが、それはむしろ――
「その程度の事、問題は無い。この事に比べれば」
 心待ちにしているかのような表情。
「天啓だ……フィラネス様が、天啓を受け取られたのだ」

 教会の最上位に立つ人物――現教皇フィラネス。
 嘘か真か、神からの言葉を受け取る事が出来ると言う唯一の人物……人は、彼を通してしか、真実を知る術は無い。……確かならば。
「天啓――一体、どのような内容だったのでしょう?」
「……神が、我々の元に天使を遣わして下さるのだ」
 隣から大きく音が経つのをエッジは聞く事となった。彼自身もそれに驚いたが――それ以上に、隣の人物は反応を示した。
「天使――天使を、遣わす!? 本当ですか!」
 まるで見えない火を見せられるかのように、信じられないという声をあげる。ウィンディアのその反応を横目で見つつも、エッジもまた聞き返す。
「フィラネス様の小粋な嘘、という事はないのでしょうか」
「何を言うか……何ならば、聖都へ来て直接聞くといい!」
「直接……ですか、まあ、そんな事しなくても……」
「分かりました、行きましょう」
 自身の対極を示したウィンディアを、今度は横目ではなく正面から見る。目が合う――理解する。
「……ウィンディア、様。ならば、お気をつけて」
「ああ。これは、確かめずにはいられないからな……一応、護衛は付けていくよ」
 その場が解散されると、エッジはもう一度ウィンディアの表情を見た。その表情は……

 
    *


 暗闇と言うのは思考を巡らせるにはいい。例えば、深夜の礼拝堂は丁度いいだろう。
 ウィンディアが聖都に向かって数日が経過した日。あの日からエッジは天啓について考えていた。
「本当に、有り得るのか? 天使が使わされるっていうのは……」
「何だ? また難しい事を考えているのか? 良くないぞ!」
 難しい顔をしている所に突然首元を掴んでくる力強い手と、掛けられる女性の声。
「……はあ。いいねえ、ラーヴァ。難しい事を考えてないんだろうな」
 つい数日前にも考えなしに場を崩したその女性を見て溜め息。最近、溜め息をつく回数が多いと感じてしまう。
 そんな気持ちも露知らず、彼女はひたすらまくし立てる。
「難しく考えるよりフィーリングで考えよう。大丈夫さ。マイペースマイペース。わたしもマイペースに生きてるぞ!
 エッジも頭空っぽにして人生を謳歌すればいい気がするぞ!」
 頭空っぽはともかくとしても、これがエッジにとってのマイペースなのだから仕方は無い。だったら、せめてマイペースを見せつける事ぐらいしかないだろう。
「ラーヴァ。どう思う?」
「ん?」
「天使が降りてくる、という話だ。空想上の存在という訳じゃないのか? 信仰対象というのはそもそも……」

 ギィィ……という音に声がはばまれる。背後から月明かりが漏れ、誰かが入ってきた事を知らせる。
「この時間帯に礼拝者か? 珍しいじゃないか」
「……ああ」
 二人とも、このような時間に来る者の事は知らない。普段人が来ないからこそ、エッジはこのような所で考え事をするのだから。

「誰か、いますか?」
 冷たい空気が声をよく通す。 透き通るような声が無人に近い礼拝堂に響く。一度も聞き覚えの無いその声が、何度か耳に反響する。
「……ああ、人ならいる」
 ゆっくりと声を返し、立ち上がるエッジ。

 背後に目を向け、その姿を映す。月明かりを背に現れた、その姿は――

「ここが、フォレスティア……ですよね?」
「…………そうだが、何か、用か?」

 黒髪の少女に、一瞬だけ、見とれた。

 そしてこれが、彼を……そして彼の周囲を巻き込む物語の始まりだった。 

 
    *


「我らの祈りは大いなる神へと届き……守護の誓いを立てし天使が世に使わされる。現世もまた楽園と化し、夢幻すらも超え、昇華する」

 天啓。これをそう呼ばずして何と呼ぶのか。フィラネスは、日々祈り、聖印をきり、そしてこれまでの人生の大半の時を捧げ過ごしてきた。その中で、初めに受け取った言葉は、予言だった。

 教会のトップどころか、教会傘下である聖天騎士団の一構成員に過ぎなかった彼の運命が変わりだしたのは突然の事だった。騎士団の、魔獣討伐。当初は団内において、楽な仕事だと言われていたが、彼らが思った方向とは逆に事態は進んでいく。
「こいつら、キリがないぞ……!」
「負傷者計測不能! 死傷者多数! 危険です、もう逃げましょう!」
「しかし……!」
 目の前に現れた獣は、まさに不死身と言っても過言ではない、強大な存在だった。爪の一振りが数多の命を引き裂き、吐く息は業火となり小さな灯火を飲み込んだ。
 フィラネスもまた、前線で戦いその命を散らす事になる……と、彼自身は思っていた。

 その時、視界が灰色に染まったかのように思えた。いや、もしかしたら本当に止まっていたのかもしれない。その瞬間脳裏に声が響く。自分の声ではない。しかしその声は心地よく――
「右目……?」
 世界に色が戻ると同時に放たれた剣の軌跡は、確かにその場所を捉え、一撃の音と共に魔獣は崩れ落ちる。
 彼自身、一体何が起こったかはしばらく理解できなかった。

 彼は、その一度で高い名声を得た。しかしその一度が全てではなく、以降も度々同様の事象が発生し、次第に彼はその声が何なのかを考え始める事となる。その矢先……祈りの最中に、再び声が響く。
「汝は我が声を聞く者……我が意志を伝えよ。祈り続ける者よ……我は祈りの彼方に座す者也」

 いつしか、彼は現代の教皇となり、天啓を人々に伝える役目を果たす事となった。前代の、立場を貪るのみの形だけの教皇は神の予言の前にその地を失い、彼はそれまでの数多くの実績と、それに裏打ちされた「神の天啓」によりそのカリスマは強固たる物となり、今に至る。
 現在でも稀に騎士団時代の友人が訪れる事はあるが、立場上会う事が可能な場合は少なく――


「フィラネス様、フォレスティアの大司祭が面会したいと」
「ん? フォレスティア……ウィンディアか。通していいよ」
 稀、のタイミング。そして相手もまたそれなりの立場の人物。稀の中でも稀なパターン。普段、現れないような人物が現れた――その理由はすぐに思いついた。

「なるほど、聞いたようだね……」
「フィラネス……天使が、降りてくるって?」
 部屋の中に入ってきた人物は、嘘吐きを目の前にするかのような、挑発的な態度を見せていた。


 天啓、とは言えど受けた事の無い人物にとっては幻聴と何が違うのかが分からない。フィラネスのいる場は教会だった故に問題となる事は無かったが、疑おうとするならばいくらでも疑う事が出来る。
 ウィンディアにとっては、疑いの感情が半分を占めていた。
 夢のような事であれば、疑いも持つ。ウィンディアは、そして彼の知る限りの人々は、天使を見た事などない。
「フィラネス。証明し難い事だとは分かるけれどあえて聞きたい……お前は本当に天使が降りてくると思っているのか?」
「神の言葉を疑うと?」
「その神の言葉はお前しか聞けないんだろ? だったら神の言葉じゃない、っていう事だって想像できるじゃないか。俺には聞こえないんだからな。
 お前を疑っている訳であって、神を疑っている訳じゃない。いいだろ?」
 フィラネスが苦笑を漏らす。嘘を付いているようには見えない、そもそも彼が嘘をつくような人物だと本気で思っているわけではない。
「神の言葉の証明が悪魔の証明とは面白いな……しかし、確かにこれは事実なんだがな……ウィンディアには聞こえないか」
「聞こえてたらきっと俺が教皇だよ」
 くくく、と笑ってみる。フィラネスも今度は普通に笑って見せる。それからしばらくは他愛の無い話が続く。フィラネスは嘘を言っている訳ではないと判断した。
 彼は、騎士団時代のフィラネスを知っている。その頃から、彼は愚直と言う表現が合う程に正直だった。それを知る程には付き合いのある人物のため、少しの会話の中で嘘か真かを見る事は出来た。

 つまり、天使が降りてくる、という事を考えた。そして、それは彼にとって、他の多くの信者達よりも強い意味を持つ物だった。その事を考えると、寂しく感じた――

「長居しすぎたかな……偉い人相手に失礼過ぎるかな?」
「最初から失礼していただろう、今更か?」
 他愛の無い話も終わり、椅子から立ち上がる。フィラネスに煽られるも、それをスルーして扉に手を掛ける。
「邪魔したな、フィラネス。今度はお前がフォレスティアに来いよ?」
「友人としてなら、な」
 返答を待たない内に扉を開き、その最中で返しを聞く。そうして、今度は来た道を戻っていく。その背後には、気づく事は無かった。

「――――運命?」
 ぽつりと、呟かれた言葉は、この時はウィンディアの知る所には無かった。

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