アンブロア大陸の最南端に位置する「信仰の失われた地」……オーロランド。その中央部に一際大きな建物が存在する。最上部に掲げられている黒い羽のシンボル……かつての聖堂は今、反教会組織の本部となっていた。黒く塗り込められた壁は、生気を吸い取られるような錯覚を覚えるほど、禍々しい物となっていた。……その中の一室で二人の男が話していた。
「もう攻め込んだっていうのかい? 大したもんだね……」
 机の上に置かれた水晶玉。その中には、エルクライスの街が見えていた。現在、かの街には組織の幹部格の人物が率いる部隊が攻め込んでいる。それは、片方の男にとっては意外な事であったらしい。
「こんなに楽しそうだったら、僕も行きたい所だったよ。祈り、救いを請うような哀れな奴等をズタズタに引き裂いて――」
 その目は血走っているかのようだった。もう片方の男は目を閉じたままその言葉を聞いていた。
「楽しみだ……楽しみだよ、あいつらの顔が醜く歪むの、楽しい楽しい、嬉しい、素晴らしい! それを見たら今度は殺して……殺して殺して、殺して殺して殺して殺してころしてころしてころしてころしてコロシテコロシテコロシテ――」
「落ち着け。間違ってもこれを斬ってくれるなよ? 私の面倒事を増やしてくれるな」
「――アあ、すまないねえ。ちょっと昂ってしまったよ。でも、ああ……彼等が美味しい所をいっぱい持って行ってしまうんだね。それはつまらない…………?」

 その時、水晶玉が輝きだした――黒い部屋が、徐々に白く染まりゆく。
「これは――何なんだい」
「……なるほど、この光は」
「一人で納得しないでほしいね。僕にも教えてよ、君の理由を」
「……お前も、少しは楽しめるだろうと言う事だ。先に全て教えては面白くないだろう」
 一人が部屋から出て行く。その言葉に不服そうな態度を示すもう一人――
「ちぇっ、いいよ……その楽しめそうな奴、いずれ味わせてもらうかな」
 それも出て行くと、部屋の中は未だ光る水晶玉だけが残された。

 
    *


 静かな目覚めだった。普段通りの朝のように、むくりと体を起こす。何だ夢か……というモノローグが浮かぶも、目を覚ました場所が滞在していた宿屋のベッドでは無いどこかである事に気付き、モノローグに線が引かれた。
「死後の世界じゃあないだろうな」
 頬をつねってみると、痛みを感じた。が、それだけで判断するには早い。何故なら死後の世界の事なんて誰も知らないのだから。痛みがあっても不思議ではないだろう。
 スゥ、という音が聞こえ、横を見るとウィンディアが眠っていた。何事も無かったかのように眠る彼を見て――
「……二部屋に分けてくれてもいいんだぞ」
 まあ、余りが無かったんだろうな……などと少しズレた事を考えると、エッジは早々にベッドから降りた。とにかく、現状確認をしなければならない。あの戦いは夢か現か。そしてその結末はどうなったのか。情報が、足りない。

 彼が眠っていた部屋のドアを開けると、その光景は見覚えがあった。確か――
「聖堂の……何階だったかな」
 知っている場所に出た事により、彼はおそらく自分が生きているのだろうと理解した。それでも少しの疑いを持ちながら推定・聖堂の廊下を歩いていくと、備え付けられた魔導モニターが見えた。

「ご覧になられている通り、エルクライスの東門付近は多くの遺体が――」
 東門――確か、彼の記憶では門などでは無く壁を破壊して入り込まれようとしていた。別の場所からも突入を試みていた――そして、おそらくその門は突破を許してしまったのだろう。映像の中で、明らかに非戦闘員と思しき人々も倒れていた。この惨状が、彼の今いる街の中の光景である――そう考えると、寒気がする。
「また、南西部の外壁が破壊されている事も確認されています。幸いにもこちらは街の内部に遺体は見当たらず――」
 南西部。彼の記憶にあるのはこっちだ……が、どうもこのニュースによればここから侵入された形跡は無いらしい。映像は破壊された壁――そして彼にとっての死の淵とでも言うべきか、貫かれた壁や住居が見える。
 彼の記憶が正しければ、間違いなく突入を許すような状況だったのだが……フィラネスが間に合ったと言う事か。
「やはり天啓は恐ろしいな……」
 その推測が事実と違う事を彼はまだ知らない。そして、彼自身が何故無事でいるのかについては、後で考える事にしたのだろう――思考を渦巻かせることも無く階段へと向かっていった。……理由はともあれ、このような報道がされている――そして、おそらく大聖堂自体は今いる通り、無事なのだろう。他の守りの一切を捨てていたのでなければ、壊滅していると言う事は無さそうだ。


 下階に降りると、様々な人が忙しなく走り回っていた。薬を持っている人々も少なくない事はすぐに分かった。容器や箱を見れば彼にはすぐ分かる。
「怪我人の手当てか?」
「は、はい。軽傷から重症まで、数が多すぎて手が回らなくて……」
 道行く一人に声を掛けると、やはり思った通りだった。このような時に動かず、いつ動くのだろうか。
「手伝う。重症のは何処にいる?」
「あっちの部屋ですけど……でも、手伝うと言っても」
「薬師をやってる」
 説明手短に、彼は部屋へと駆けこんで行った。……数分後には飛び出した。荷物が無事である事を祈りながら。

 
    *


 エッジが急いで宿屋に戻り、そこから出るまで数分と掛からなかった。前に出る事無く終わり、今は宿屋で待機していたプレアがエッジに声を掛ける暇も無い。その急いでいた様子に声を掛けるのも躊躇われた。
「目に入ってなかったなあ」
 今、エッジの持って行った荷物はおそらく薬……なら確かに話すような時間は無い。納得の理由である。
「俺も手伝いに行こうかな?」
 とはいえ、彼にそれ系列の知識はロクに無い。彼自身が薬を出してもらった事もこれまでには無かった。手伝えるような事はあるのだろうか。
「回復魔法って、使えたら便利だろうな……」
 しかし、それを使える者はほとんど存在しなかった。エッジは薬と同時に僅かに使えると聞いたが、本当に僅か――擦り傷を直すぐらいだと言っていた。それほどまでに、回復の魔法と言う物はレアな存在であった。
 ウィンディアが以前その理由を言っていた。対応するエレメントが無い、と。人は回復と光のイメージを結びつけると言う。しかし、光は人の体の構成要素とはなり得ない。いわゆる聖なる力が、癒しの力とは言えないのだと。
『むしろ、時の魔法の方が近いと思う。傷を巻き戻せるから』
『時の魔法も、対応するエレメントが無いって話を聞いたけど』
 プレアは更に難易度が上がっている事を突っ込んだ物だが。

「包帯巻くくらいなら教われば出来るかな……」
「どうかしましたか……?」
 扉が開き、アセリアが出てくる。……ふらふらした足取りで。
「ア、アセリア……大丈夫か?」
 疑問に対して疑問を当てるような形となってしまったが、仕方ないだろう。どう見ても満身創痍である。エッジが見ていたら、何故彼女がここまで疲れているのか不思議に思った事だろう。だが、プレアは「それ」を見ていたため単純に心配の念のみを見せる。
「わたしなら大丈夫です……ところで、何が――」
「エッジが怪我人の手当てをしに行ったみたいなんだけど、俺も手伝いに行くべきかなー、って思って。包帯の巻き方って知ってる?」
「怪我の手当て――わたしも行ってきます!」
 そしてふらり、ふらりと……
「ま、待った! その様子だと無理だろ!?」
「でも――わたし、回復魔法、使えます」
「使えたとして、魔力は残ってるのか? それにあの調子で、耐えられるのか?」
 言葉を詰まらせるアセリア。更に続けると泣かせそうな気もするので、もう一言で止める。
「エッジが今動けるのも、ある意味ではそれのおかげなんだから……ここはエッジに任せて、アセリアはゆっくり休んでいれば」
「でも、わたしは行きます」
 扉を開く。プレアは焦る。何故、止まらないのか。
「ちょっと待った、自己犠牲精神って奴か!? そういうのはここで発揮する物じゃ……」
「でも、そうする事――幸せに思います」
 状況・方向性こそ違えど、同じような無茶をしようとした人物をつい昨日見たような。それを考えると、ここで行かせるのは多分いい方向には向かわない。
「跡を濁すような――」

「やめておけ」
 突然、もう一つの声が聞こえた。それは外から、アセリアに向けて。彼女が目を丸くしていると、その声は続ける。
「誰かが救いを与えられれば、誰もがそれを求める……多の命の危機、一人二人のみ救えばそれが別の争いを生む。犠牲になった者の事など、すぐに忘れ去られてな」
「あんた、この前の……」
 プレアが会議中のウィンディアとアクアを待っていた際、少し会話をした男だった。偶然にも程がある――もしかしたら意図的にここに来たのかもしれないが。
「ああ。一度会ったな」
「うーん……今の状況だと、救い無しじゃ光満ち溢れないような気もするけど――でも、理由違うけどやっぱりやめておいた方がいい。三人治して一晩休んでその状況なんだから、そこからまたやるのは無茶だって」
「うう……」
 完全に言葉を止めてしまったアセリアは、外に出る事を諦めたのか椅子に腰を掛ける。俯いた表情は、疲れと悲しみを色濃く映していた。
「回復魔法とは名ばかり……生命力を渡しただけか」
 生命力――どのような概念かは分からない。ただ、それは二つに分けられる。肉体的な生命力と、精神的な生命力に。
「そういえば、こんな事を聞いた事があるんだけど」
「「……?」」
 何かの理論らしいが――
「エネルギー保存則っていうのがあるらしいよ」
「精神を振り絞れば無茶をする――理に適っているな」
 男は、何だか納得したみたいであった。そして少しの沈黙の後に――
「……その魔法も、過ぎた力だ。人の行方は人の手に任せろ。少なくとも、今はな」
 男の言葉に、アセリアは明らかに不満であるようだった。しかし、男は続ける。
「過ぎたる力に依存すれば――それが失われた時、あるいは牙を剥いた時に人は立ち向かえなくなる。いつ、その力が人に刃を突きつけるとも限らないだろう?」

「言いたい放題言ってったなあ……」
 落ち込むアセリアを見てプレアはこぼす。とはいえ、彼は男の言葉に一定の理解を示したらしく、それでいながら少し考えるように天井を見上げた。アセリアは――
「……分からない」
 ただ、立ち尽くすばかりだった。

 
    *


 手持ちの薬が足りない――が、さすがは大陸一の規模の街。必要な薬は揃っているようだった。それで対応できなかった重症者がいたが、それこそエッジの持っていた薬が役に立った。
「さすが、賢者の息子ね」
「静かに、治療中だ」
 そう言いながらも、不意に言われた両親の事を思い出す。そう……賢者とまで言われていた、らしい。彼はそう呼ばれる所以についてその目で見た事は無いが――彼の知識の大半は、親の書き残した本による物だった。いわゆる基礎の部分は全て親から学んだに等しい。普通の人から見ればその基礎が既に天才級もいいところの内容であるが――だから、彼の両親が賢者だなどと言うのだろう。
 なお――今、声を掛けたアクアも実際はその人物を知らない。本を読んだ感想である。賢者というのは、身内でのみ通じる言葉だ。
「これでいい……至急対応すべき所はこれで全部だろう」
「何だか、薬師というより医者みたいだけれど」
「医者の真似事が出来る薬師でどうだ?」

 ようやく気を抜いて、口数を増やすエッジ。負傷者のいる部屋を出ると、二人は気になっていた事について話し出す。
「エッジは、何があったと思う?」
「そうだな……意識が切れる前に、とんでもない事をしてきそうなのは見たんだが」
「私も、そこまでは覚えているけれど……何で気を失ったのか分からないけれど」
「ショックで気を失うと言う事はある、そういう事だろう」
「じゃあ、何で助かったのかしら」
「まあ……そこは分からないな。フィラネスが来て助けてくれたか、そう言った所か」
 アクアは周囲を見渡す。幾つかの目がこっちを見ている。
「フィラネス「様」は教会のトップに立つお方だから、様を付けるべきね」
「……ああ、俺もラーヴァの事は言えないな……そろそろあいつの一報も欲しい所だが」
 アクアの言い方も随分と芝居がかっていたが、一応形式的には満たしているか。エッジは忘れていたため、それに比べれば遥かにマシだろう。
「……懐かしい物だな。昔は、全員で馬鹿をやったものだが」
「老人みたいな事を言うのね……エッジ、貴方もしかして年齢詐称でもしてる?」
「酷い言い様だな……自分が言われて嫌な事を人に言うなって習わなかったのか」
「年齢に拘っていないから分からないけれど」
 まるで昔みたいだ――エッジはそう言うが、現状は頭の外に追いやろうとしてもどうしても片隅に残ってしまう。それゆえに、気を抜ききれなかった。アクアも、今この瞬間も悪夢のような光景が意識のどこかに写っている事だろう。
「五人で馬鹿をやってたな……って。竜の巣に入り込んで無茶やったり、雪原に行って見事に迷ってみたりな」
「……五人。ねえ、エッジ……あれからどれくらい経った?」
 突如、気まずい沈黙が二人の間に流れる――
「……もう三年経ったな」


「何の話してるんだ?」
「あら、ウィンディア……ようやく起きたのね。いえ、昔は――騎士団時代は馬鹿な事をやっていたね、って話よ」
 ウィンディアはそれを聞いて、ああ、と手を打つ。
「エッジとアクアと姉さんと、みんなあの頃は弾けてたよな。……姉さんは今もかな」
「ラーヴァほど弾けていた記憶は無いがな」
 そう言うエッジが何を見ていたか。アクアには分かっていたが、ウィンディアには分からない。彼がいずれそれを知るまでは――

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