外に繰り出せば、慟哭が聞こえてくる。アセリアはすぐにでも駆け出したかった。助けたかった。自分には、そのための力があるのだから――でも。
『いつ、その力が人に刃を突きつけるとも限らないだろう?』
 何故だろうか。見た事も無いはずの男の言葉が、どうしてここまで影を落とすのだろうか。結局――彼女は動けないままだった。
 そのような言葉など振り払ってしまえばいいのに。

 
    *


「ウェストブロシアの状況について、連絡が入っている」
 生存者の救助、及び可能であればその地の奪還。ラーヴァの所属する聖天騎士団以外にも中々多くの人員が割かれたらしく、そのいずれかからフィラネスの元に連絡が入ったらしい。
「それで、詳細はどうなんだ?」
 フィラネスの口調からするとラーヴァが不幸に陥った訳では無さそうである。それゆえにウィンディアは余裕を持って話をしていた。自身の喫した敗北ゆえに、姉の事についても不安が見え隠れし始める頃だった。しかし、フィラネスもラーヴァとはそれなりに深い親交があった。何かが起こっていればそこまで冷静にはいられないだろう。
「直視したくは無いような光景だってね……聖堂は焼き払われたみたいだし、他の建物も軒並み原型を留めていないとか」
「生存者はどれくらい……?」
「ほとんどいないらしい。巧妙な隠れ方をした人もいたみたいだけど、それすらも暴かれて殺害。まるで見えない物が見えるかのように……」
「もしくは、余程鼻が利くのか」
 気の滅入る話だ。そしてルシファーズウイングの行動理念を考えればこの街も、そしてフォレスティアも同様の事態を引き起こされる恐れがある。下手をすればスノーリウムについては国ごと滅ぼされかねない。あの国は宗教国家だ。
「そしてウェストブロシアの奪還について。結論から言えば不可能」
「……やっぱり敵の戦力が多い?」
「そう、そんな単純な答え。アクアが言っていたヤバい奴は先日この地に現れた――つまりウェストブロシアの一帯は少なくとも若干は手薄だったはず」
 だけど……とフィラネスは続ける。
「恐らく精鋭部隊であろう者達と交戦……この街から派遣した騎士団は敗走、教会の戦力としては最強の聖天騎士団も被害拡大を回避するため退却。あの巨大飛空艇を墜としかねないとか」
 言葉にすればあっさりした物だが、言ってしまえばどうしようも無いと言う事。ほんの少し前の――船上での戦いの時は大したことが無いように思えたのに、現実はこれほどまでに非情だ。

「一体どこからそんな戦力が湧いてきたんだ……? これ、実は他大陸の国からの侵略戦争だったりしない? 武器がそっちから仕入れられているとか――」
「その線は今調査中。実際、これは異常だよ……とはいえ、考えにくいけれど。地理的に」
 アンブロア大陸以外にもこの世界には幾つかの大陸がある――その中でもルシファーズウイングの本拠地たるオーロランドから兵器運送を考え現実的なアクセスのある大陸は一つである。
「エウスマキナ……あの国の侵略戦争の記録は?」
「無い。それに、あの国の権力者の中に戦争を仕掛けるメリットを持つようなのはいないはず」
「温暖な気候、広大な領土、敵対勢力を持たない、国民の支持も厚い。わざわざ危ない橋は渡らないか」
「それに、あの国の上層はこの教会より余程クリーンみたいだしね……おまけに、あの国の中にも教会があるし、友好関係も多少なりある。まあ勢力はそんなに無いけれど……まあ、全部偽りという可能性も考えられなくはないけれど、正直無理があるかなと」
 そうなると、余程のリスクを冒してその他の国が仕掛けたか、或いは全く別の事象となる。しかし、どう考えても外部の協力無しにその勢力になるとは思えなかった。
「一応、こっちとしても全く気を払わなかった訳じゃあない……でも、何にも気付かなかった。余程の手練れだ」
「それぐらいのサポーターがこっちにいればなあ……むしろこっちがエウスマキナにコンタクトを取るか? もしかしたら協力してくれるかも……」
 ここ数日だけでこの街の空気は変わってしまった。全体が不安のシェルターに閉じ込められたかのようだった。そんな中で取れる手段がまさか他国頼りぐらいしかないとは、大勢力のはずの教会の何と脆い事だろうか。ウィンディアは自分の力の無さを痛感するばかりだった。何も出来なかった自分を。
「……そうだね、現状を打破する方法……僕達が取れる行動の中ではそれぐらいしか無さそうだ」
 しかしフィラネスは目を閉じて考え込み始めた。まるで、他の方法があるかのように。聞いた限りの状況では、とても他の打開策は無さそうだが。
「フィラネス、何かあるのか?」
「……希望があるとしたら」
 深呼吸。


「天使が。我等の信仰する神の如き存在がいる」


 このタイミングでのその言葉。冗談とは思えない、以前も天使が降りてくると言う話を聞いた。それに、その表情が本気を物語っていた。
「それはつまり……?」
「再び、天啓が下った。既に、この地上に天使が降りていると」

 
    *


 怪我人の処置はほとんど終わり、今はいつ起こるかも分からない再度の襲撃に備える。とはいえ、周囲を見渡すと人々の生気は感じられない。戦闘要員である兵士も見かけるが、次の機会に怯えているようにしか見受けられない。
「助けて、誰か助けて……」
「死にたくないよお……」
 繰り返される負の言葉。気が滅入ってしまいそうだ――いや、今この状況では滅入っているのが普通なのかもしれない。しかしエッジは次を考えていた。間違いなく来るであろうその、次の機会を。彼は、今フィラネスに呼ばれているウィンディアを除き、アクアとプレアと作戦会議を行っていた。
「俺達の力だけで何とかなるレベルは確実に超えている。もしこの状況を引っくり返したいならば何か、常識では考えられない事をするしかない」
「常識では考えられない事というのは、例えば?」
「伝説の武器が眠っている遺跡を探し当てるとかな」
 その言葉に露骨なほどの溜息を付くアクアだが、それは仕方ないだろう。当のエッジも奇跡未満の確率であると加える。
「……まあ、可能性がゼロでないだけでもマシな方だろう? 正面から挑んでも勝てない。フィラネス一人で何とかなるはずも無い」
 前向きに物事を考えようとしても、悪い前提が頭にちらつき、すぐに陰鬱な雰囲気が漂い出しそうになる。それでもエッジは考えを振り絞っていたが、そこで不意にプレアが切り出す。
「……天使がいたら、どうする?」
「助けを請いたいねえ……こんな状況ならば。これもまた、常識では考えられない事、その一つだな。天使を探すと言う事」
 アクアがまた難しい顔をする。怒りをぶつけるにも無意味であるかもしれない現状に、彼女は何処へ向けて感情をぶつけていいのかが分からない。
「いるなら、助けてくれないのかしら」
 青い空を見上げても、答えは返ってこない。天啓は彼女には届かないのだから。
「プレア。貴方は天啓が聞こえたりはしないの? 隠しているとか――」
「俺に縋るより藁に縋る方がマシな気もするけど……残念ながら俺には聞こえないよ……聞こえるという教皇様を問い詰めた方がいいんじゃ……」
「だったら、貴方が実は天使だった、何ていう事は――」
「……いや、それでもこんな所で明かさないと思う。殴られそう」
 出会って長い期間が経った訳では無いが、彼女の感情がいつ爆発するか――分からないけど何だか刺激したくは無い。そう思った。もっとも、この発言もその観点から見るとどうなのだろうか。プレアの真意はともかく、少し迂闊かもしれない。

 そうして、彼らの中でいい意見が出る事も無く時は過ぎて行った。しかし途中――
「ちょっと俺、散歩してくるよ。無理やりにでも気分転換した方がいいかもしれない」
「ああ……悪くないな。まあ、いい考えも浮かばないからな」
 プレアは何処かへと散歩に行ってしまった。結局、エッジとアクアもしばらく頭を休める事とした。再びその話が出てくるのは、ウィンディアが来てからの話である。俺も……と、エッジもまた何処かへと歩き出した。今度は襲撃の無い事を祈りながら。

 
    *


 未だアセリアは考え続けていた。今、自分のすべきことは何か。彼女の持つ癒し――いや、物理法則からすら抜け出し得ない半端な魔法。それすらも過ぎた力なのか。ならば、何をもって今を変えられるのか。まさか、今を受け入れろと言うのだろうか。
「未来の影とは――」
「こんな所で、何してるの?」
「え?」
 気づくと、彼女の周囲に見える物は街並みでは無く――平原。どうやら、気付かない内に街を出て――
「あれ? あ、あれ?」
 それほどまでに考え込んでいたのだろうか。
「もしかして、目的も何も無いの?」
 そして、横から話しかけてきた少女は呆れたような目で見ている――当たり前である。この状況で外に――
「って、貴女の方こそこんな所で何をしているんですか?」
 同じではないか。アセリアはむっとした表情で切り返す――しかし少女には何も焦るような素振りは無い。途端に不安になってしまう……ああ、きちんとした理由があるんだと――
「散歩って所かな」
「街の中でいいじゃないですか……」
「街の中じゃあ、偶然があるかもしれないから。あんまり会いたくない人がいて」
 当然のように呟かれた言葉だが、しかしその言葉は違和感だらけだ。アセリアはそれに訝しさを感じる。
「エルクライスに住んでる訳じゃ無いんですか?」
「え? ああ、うん。元はフォレスティアって街に住んでたんだけど……キミ、知ってる?」
「フォレスティア――って。ウィンディアさん達の住んでる街ですよね! あそこに住んでるんですか?」
「住んでた、ね。今はちょっと都合があって……職業、旅人って所かな」
 少女は照れ臭そうな表情を浮かべる。
「えっと……」
「わたしは、旅人だからと言って格好いい訳じゃ無いけどね」
 旅人は普通は格好いいんだ……という謎の認識がこの時アセリアの中に生まれたが、それは気にするべき事では無い。そして少女が同様の認識を持っている事など当然どうでもいい事なのだが。
「……ところで、ウィンディアの事は知ってるんだ。エッジとかアクア――アクエリスって知ってる? それにラーヴァって言うのも」
「その四人……知ってますよ。ウィンディアさんとアクアさんは教会の偉い人ですし……それに、ラーヴァさん以外は今、エルクライスにいて――宿も一緒です」
「……あの三人、今そこの街に居るんだ」
「ご友人の方ですか?」
「……まあ、昔のね。そう、みんな元気なんだ」
 元気か――と言われれば今この時では首を傾げるしか無い。一件の前ならば元気だったのだろうが。この旅人の少女は、起こった事件の事を知らないのかもしれない。
「うーん……元気と言えば、少しそうでもないような――」

「ところで暗い表情をしているけれど、悩み事でも?」
 突然の言葉に、アセリアはギクリとした。初対面の相手に突然このような事を言われるとは。いや、それほどまでに自分は思い詰めているのだろう。彼女の気分は更に落ち込むようだった。
「いえ……わたしは……」
 しかし、もしかしたら自分の欲する答えを彼女が知っている可能性もある。止めようとした言葉がそのまま流れ出る――
「……それが人にとって過ぎたる力だったとして、本当に使うべきではないのでしょうか。いずれそれは人を滅ぼすのでしょうか」
 滅ぼす――刃を突きつけるどころではない誇張表現のようだが、彼女の中でその言葉はそれほど重い意味を植え付けようとしていた。彼女自身、気付く事は無い。そして、旅人もまた考え込む――しかし、
「本当に人の事を考えているのなら、その行動と態度で示せばいいじゃない」
「……行動と態度?」
「そう。それと……大事になる前にそれを止めてくれる――信頼できる人も見つければ尚良し、って所かな」
 ただ振るうだけではいけない――彼女は言った。
「過ぎた力と思うならば、それを扱うに相応しい者となれ……なんてね」
「相応しい者……そう、なれるのでしょうか。それに、信頼できる人も」

「……大丈夫、きっと」
 風に吹かれる――髪が揺れる。その風の中で、旅人の少女は空を仰ぎ――
「どんな事があっても、紡がれた絆は裏切らない」
「絆?」
「信頼のおける人が分からないなら、まずは信頼を築く事から。キミにもいずれ出来るよ、信頼できる仲間が。そして仲間が出来れば、きっとキミ自信も変わる。そう、過ぎた力も扱うに値する程に」
 不意に歩き去ろうとする――と思った時、振り返った。
「キミ、名前は?」
「名前? アセリア、です」
「アセリア……わたしはレフィア――また、会うかもね。いや、きっと再び出会う――貴女の光に導かれて」
「え? 貴女、もしかして、わたしの事――」

「いつか絆の鎖を繋ぎましょう」
 また風が……突風が吹いた。思わず目を閉じる――そして再び視界を取り戻した時、周囲には誰もいなかった。
「……レフィア、さん」
 見ず知らずの相手だというのに、彼女の言葉が深く刻み込まれた――ような気がした。

 
    *


 旅人は歩く。何処かへ。
「アセリア――きっと、キミは誰かを救える」
 黒い、鼓動が聞こえる。
「……ウィンディアは、わたしを救ってくれる?」
 影が、揺らめく――彼女の行方をまだ彼は知らない。

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