それはウェストブロシアの地まで届いた――ラーヴァもまた、弟達のようにそれを感じていた。そして彼女の知る者の中にも、気付いた者がいた。
「やはり、気のせいでは無さそうだな……」
 廃墟となった街……幸いと言うべきか、彼女がこの街に辿り着いた時には敵の姿は多くなかった。巧妙に隠れていた極少数の人々を助け出した聖天騎士団は、ようやく帰路に就こうとしていた――その矢先だった。
「……ん、何だ? 騒がしいな」
 辺りがにわかに騒がしくなる――と思った次の瞬間には、悲鳴が混ざりはじめた――
「まさか、敵襲か!?」
 彼女は伊達にこの立場にある訳ではない。考え事をしていようと、すぐに戦いの体制は整えられる。当然だった。彼女の近くにいた、重厚な鎧に身を包んだ人物が声を掛けてくる。
「団長、どうやら奴等のようです! 既にこの地から去ったかと思いましたが……」
「隠れていた者共々一網打尽にしようという算段か……姑息な!」
 剣と剣が響きあう。突然の事態にも団員達は対応し始めているらしく、勇猛な声が辺りに広がる。
「どうせこのタイミング……飛空艇発進準備だ! 準備完了まで持ちこたえろ!」
 再度、戦意を奮わせる声が上がる。今回の行動においては騎士団の中の精鋭達も揃っているらしく、騎士団の中にほぼ恐れは無い。彼女が前に出た時には既に敵の士気も低下していたほどに。
「ふん、一般人相手でないと強がれないのか? よく出てきたものだな!」
 剣を抜いた所に踊りかかってきた二、三人を軽くあしらう。見る必要すら無い程だった――素人同然。刃が向いただけで恐れが湧き出ているのが手に取るように分かるようだった。それでも向かって来るのなら――
「教会の犬め、ぶっ殺してや――」
「そんな汚い言葉で吠えるのみならまだしも、行動に移されてはな」
 相手に剣の軌道が見えるか否か。それには依らずその道の先にそれは進み……音も色付く事も無く消えていく。その跡に愚かなる者が命共々倒れ伏す。

「悪いが、剣の刃は飾りでは無い……散りたくなければ去れ!」


    *


「大切な話――例の頼み事か?」
 アセリアの目はこれまでに見た事が無いほど――短い間だが――真剣な物だった。その瞳を正面から見据える。向かい合う。
「はい――でも、単に頼み事というだけじゃあないんです」
「頼み事って、俺に何かあるんだっけ? それを聞いてみる事も無くこんな事態に巻き込んでるけど」
 しかしアセリアは首を振る。いいんです、と笑顔を見せまでする。隠された意味など無い。気を遣ってくれなくてもいい。
「むしろ頼み事がしやすいくらいです。それで、先に聞きたいのですけど」

 数秒程度の長い沈黙。

「今からわたしが言う事、信じてくれますか?」
「そんなに信じ難――」
「信じるよ」
 ウィンディアの即答――を聞き、二人は彼の顔を見る。
「即決か……大丈夫か?」
「でもさ、エッジ」
 今度はエッジとウィンディアが見据えあう。ウィンディアの目がやたら雄弁に語っている――そうエッジには思えた。とはいえ――これは
「もうアセリアも仲間みたいなものだろ?」
「突然だな……それについてはアセリアがどう思っているか、だろう。急にそれを押し付けられてもな」

「仲間……?」
 エッジの目線がまたアセリアに向く。その彼女は戸惑っているようだった――突然すぎる。再びウィンディアを見やるとエッジは肩を竦める。
「ほら……いきなりそんな事を言われても戸惑うだけだろう」

「……わたし」
「まあ、心配するな――どちらにしろ、俺も信じる」
「え?」

 今一度目を合わせる――
「少なくとも、嘘を吐くようなタイプじゃないであろう事ぐらい、俺にも分かってるさ」
 信じられるかを聞いた本人が一番信じられなさそうな顔をするとは――苦笑するエッジ。
「本当、ですか?」
「貰った本をあんなに楽しそうに読んでるのを見たら、とても嘘を言うようには思えないからな。俺からすれば、お前は信じられる」
 彼女が泊まっている部屋の机の上には今も、栞の挟まった本が置かれていた。
「エッジさん……ありがとう、ございます。それに、ウィンディアさんも」
「……いや、礼を言われるような事じゃないような気がするが――」

 何だか照れくさく感じてしまう。エッジからすれば、それほど大きな事を言った気は無かったが、アセリアは笑顔になった。それを見ると心地よい気も――そんな時だった。

「え?」
「――いきなりどうした、礼を言われるのに慣れてないのか」
「違う、今誰かの声が聞こえなかったか?」
「声? アセリアか俺ではなく、別のか?」
「聞いた事無い声だった。何ていえばいいんだろう、響き渡るような。礼拝堂で喋ってる時のように」
 突如言われた不可解な事態は明らかに理解に苦しむような物だった。響き渡るような声ならばせめてその残響の一つぐらい聞こえるだろう――しかしエッジには何も聞こえなかった。他の声が聞こえている以上、何か異常を起こしている訳でもないだろうが――ならば異常は……

 しかし、現実はエッジにとって不可解極まりない物となっていた。もう一人が部屋に入ってきた事がそれを彼に突き付ける。

「エッジ、ウィンディア……アセリアも。今、何か聞こえた?」
「やっぱり、アクアも聞こえたのか!? アセリアは……?」

 視線が集中する。その時、彼女はハッとしたような表情になっていた。その目は虚空を見るかのようで、その先は見えない。
「わたしにも――その声、聞こえました。きっと、同じものが」


 今起こっている事は分かった。自分以外にはその何らかの声が聞こえたのだと。しかし、理解は出来ない。理解のしようが無い――疎外感、という物を強く感じはしなかったが、確実に今、一歩以上後ろにいる。
「聞こえていないのは俺だけか……これは参ったな」
「本当に聞こえなかったの? 眠ってた所を叩き起こされるぐらいにははっきり聞こえたけれど」
「寝てても聞こえたのか。おかしいな……さっきの妙な感覚といい、何かがおかしい」
 そこで、一つの疑問が生まれた。
「ところで、何と聞こえたんだ?」

「えっと……闇が何とか」
「適当過ぎる……いや、不意に聞こえたからよく聞いてなかったのか?」
「うん、まあ……あれ?」
 今度はコンコン、という音が聞こえた。これはエッジにも聞こえる。ドアを叩く音だ。
「何だ?」

「教皇様より、ウィンディア様とアクア様、及びそのご友人のみなさんに通達です」
「通達?」
「夜中に呼び出しておいて、更に夜が明けない内にこんな物持って来させるなんて……常識で考えられないと思うけれど……えっと?」

『早朝に出発する、至急用意を』


「早朝……今何時?」
「夜明けの一時間前ほどね」

 しばしの沈黙が流れる。
「ば、馬鹿野郎か……!」
 さすがに、そう言わずにはいられなかった。壁を殴りたい程の気持ちだが、さすがにそういう訳にもいかずやり場の無い怒りが煮えたぎりそうになる。
「せめて二日前に言ってほしかった所ね……昨日の今日どころか当日だったなんて」
「どうせまた天啓の示すままに、だろう。奴はよくその通りに動けるな……ん?」

 自ら口にして初めて気づくその可能性。今どんな顔をしているだろうか――この面子では些細な変化でも気づきそうで恐ろしい。エッジは平静を保とうとするが、自分ではどれほどの効果か分からない。

(まさか、さっきの声というのは……)
 いや、「まさか」などという物では無い。何故か彼にはそれが事実だという結論が下されようとしていた。
「とにかく――準備せざるを得ない、か……せめて二十分程度の仮眠はとりたい」
「そ、そうだな。こんな事だったら普通に寝ればよかった……」
「どっちにしても起こされたけどね……まあ、私はもういいけれど」

 ウィンディアとアクアが部屋から出て行く――ドアが閉まる。準備のためだ。エッジもまた一度出ようとするが、ふと別の事に気付く。
「そういえば、アセリアの話というのは……いや、ウィンディアが出てしまった以上話せないか」
「……いえ。エッジさんにも、話しておきたかった事ですから」
「――内容は?」
「これを――見てください」


    *


『震える祈り人よ、神の名の下に我らは闇を祓わん』
 そう、その声。彼女の言葉。魔法……違う。言葉。しかし、希望。

 実際に見たとすればただ驚くばかり――になると思っていた。だが、彼は
「これは、真実――なのか?」
「はい……びっくり、させる気は無かったんですけれど」
「ウィンディアの信仰を考えれば――そうやって現れればいいとも思うが、何故……?」
「本来ならば、ウィンディアさんの前にだけ現れる予定でした。でも、色々ありましたから……」
 光に目が眩む。だが、何故だか前を見据える事が出来る。気圧される事も無い。何故か――それは、彼だからだろうか。
(もし先程の声がそうであるなら、俺に聞こえなかった理由は……)
 信仰次第と言う事か。苦笑するしかない――が、彼女を目の前にそうもいかないだろう。

「ウィンディアへの頼み事って――何だ?」
「使命を果たすため――そして、彼を迎え入れたかったのです」
「光栄だと思うだろうな……あいつは。もう一つ、聞いていいか?」
「はい。どうぞ」

「どうして今、俺に見せてくれたんだ? それなら俺は関係無いはずだろう……?」
「何故かは自分でもよく分かりませんけれど――」


 彼女の笑顔が、その時はやけに眩しかった。目を刺しかねないような光とは違う、ただ彼女を表すもの。
「エッジさんには、見せたかったんです。わたしの事を。どうして――なんでしょうね」
 煌めく羽根が舞い踊る。その中で合わさる視線。光差す彼女に自身の心すら知らず見とれる――それはただ、目の前の一人の相手として。他の誰でも無い。

 空を舞う一枚の羽根を摘む。それはアセリアの心を映しているかのように見えた、エッジは――悪い気分ではなかった。

「エッジさん……わたしは――貴方のためにも、使命を果たしたい」
 彼女の目にもまた、エッジは見据えられていた。その感情が、本と同じであると彼女はまだ知らない。


 目に映すは天使か仲間か。

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