火のエレメントや風のエレメントを使う事で飛空艇は機能している。エッジが聞いた話によると、風のエレメントで浮かせ、火のエレメントを進行方向と逆に噴射すると推進力が発生するらしい。
 では当然、地上でそういった物が使えないはずが無い。そうして作られたのがホバーボードなる代物である。希望小売価格は給料一年半分ほど。

 乗り心地は悪い。
「速いのはいいが……浮いてるのにやたら揺れるな」
「うぐ……」
「酔い止め飲んどけ」
「た、助かる……ありがと」
 危うくプレアによる大災害が発生する所だったが、それは未然に防がれた。そうして現在、彼らは南西へと向かっている。
「この速度なら、おそらく半日もすれば到着ね」
 現在の目的地の名はヒュムネシア――小さな町であり、付近に他の街が存在しない。そして立地は山の中。はっきり言ってしまえば、本来立ち寄る予定も無かった場所である。
 ならば何故行くのか。そうせざるを得ない理由があるからである。

「アクアさん……聞きたいんですけど」
「何?」
「ウィンディアさんって、朝はいたんですよね?」
「ええ……言いたい事は分かるわ。移動が速すぎる――そう思う?」

 ウィンディアは――誘拐されたのである。朝の僅かな時間で。迂闊と言う他にないが、ただの誘拐犯如きであれば返り討ちに合わせるであろう彼が捕まっているのだから一大事と言わざるをえない。それだけ厄介な相手が潜んでいたことになる。もしあの時のような人物ならば……どうなるだろうか。

「転移装置の類の開発の成功例って、あったか?」
 『夢の』移動手段とされる、転移装置。それが開発思想通りに作られるなら、説明も行くのだが。
「いいえ、私の知る限りでは無いわ。ああ、上半身だけ転移したという話なら」
「死にたての断面図なんて、想像したくないな」

「装置とかじゃなくて、転移魔法とかは? 使える人もいるらしいけど」
 転移……より浸透している言葉に言い換えるならば、ワープ。この世界の魔法体系において「空間魔法」のカテゴリに組み込まれているこれは、最上位の魔法の一つとして位置づけられている。
 いや、ワープが……というよりは、空間魔法そのものが通常の魔法の上位に位置するとされている。

「あり得る話だが……そんな厄介な奴が敵にいるというのは、考えたくない事態だな」
「使える、って知られている人は十人もいないらしいけれど?」
「そう。単純に難しいだけじゃあなく、実験段階で危険極まりない以上は、な」
 結局、考えても仕方のない事ではある――相手がワープできるできないと言う事自体はそれほど大きな問題では無い。多大な集中力と時間を要するワープは戦闘への流用はほぼ不可能とされており、実際に対峙すればさほど問題とはならない。むしろ、そのような魔法を使える人物がいるかもしれないというそれが問題となる。ワープという物は、イコール大魔術師の証明なのだから――
 と言う所で、あ、と突然彼は手を打つ。芝居かかった、むしろ芝居がけた形で。
「ワープと言えば――最近、空間魔法の練習自体はしているんだな、これが」
「練習?」
「ああ。大量の薬を持ち運ぶのが億劫でな、ほら。次元の裂け目を開く、なんていう魔法を本で見つけて」
「「「次元の裂け目!?」」」
 現実味を帯びないような単語の登場に対する驚き、というよりは、
「エッジ、もしかして実在しない本でも読んだ?」
「エッジ、疲れてるのか……?」
「失礼だなお前ら」
 確かに突拍子も無いような概念である事は確かだが、いきなり気がふれたかのような扱いをされるのは彼からすれば心外である。二人はそんな事は百も承知で言ったのだが――まあ、それもまた対して承知だろう。しかし、一人はそのような雰囲気に耐えられない。
「エ、エッジ! わたし――応援してますから! いずれ入れてください! 裂け目に!」
「アセリア、そんな物に入りたいの……」
「穴があったら入りたいって言うじゃないですか!」
「ああ」
 以外にもそれに対するアクアの返答は納得にも見えた――言うまでもなく、実際は議論の放棄に過ぎないが。露骨に目を逸らすが、アセリアは細かい動作に目を向けず、アクアが事実納得したと判断し、眩い笑顔を見せてくれる。
「そういう事です!」
「えっと、アセリア。その言葉は」
「プレア。貴方、一時間ぐらい無駄にするわ――移動時間だからいいのかしら」
 二人の発言に彼女は今度は首を傾げる。エッジはふと思う――純心も考え物であると。

「まあいい、何なら証拠を見せてやろうか」
「え、証拠を?」
 百聞は一見にしかず。そんな言葉を実践する時を迎え、エッジはゆっくりと神経を集中させる。目を閉じ、全てをそれに注ぎ込む。いわゆる「属性魔法」の類ならそんな必要も無い――彼にとっては――のだが、これが空間魔法の特異性を端的に示す。人は、それを概念の違いともする。
 ゴクリ、という音が聞こえる。誰だろうか――それほどまでに緊張が高まる。

「はあっ!!」

 不意に視界が揺らぐ――ような気がした。目が痛くなる――ピリピリと、いやビリビリとした感覚が全身を突き刺す。自身の魔力が急激に目の前に吸い取られていくような錯覚を感じる。強大な魔法に対価を払いその結果は――


「何も出ないけど……」
「え?」
 空気が収まり、肌を刺すようなそれも無くなる。あまりにも結果が伴っていない。
「これ何? 不快な空間を作り出す魔法、略して空間魔法?」
 気まずい空気が流れ、以後数時間にわたり会話は無かった。不快な空間を作り出す魔法――それがずっと頭を反芻し、エッジは誰にも見られないようにほんのり涙を流すのだった。
「より一層の努力が必要……か……」


    *


「どうしてこうなったんだろうなあ……」
 夜中に近い時間。真っ暗な礼拝堂はちょっとした安らぎをくれる。大事な、出発前の一時を過ごすには最適――なはずだったのだが。

『願わくば、我が行く道に広がる闇を照らしてくださらん事を……』
 跪き、手を組み、目を閉じる。一心に祈り――鈍い痛みが走り、意識が遠のく。そして目を覚ませば縄で縛られている――その程度である。あまりにも突然すぎて、どこまでが祈りでどこからが祈りでないのかも分からない。
 気づけば身動きが取れない状態、想像のしようも無い――これまで、ウィンディアはそうなる事を考えもしなかった。普通ならば誰でもそうであろう。未然に防ぎたい物である。もう遅いが。最大の要因は、一心であった事だろう。
「えっと、これはどこ行き? 俺、オーロランドに行きたいんだけど」
「残念ながらこのホバーはヒュムネシアに向かっているのですよね……大司祭様、貴方の思い通りにはなりません」
 横たわった体制で固定され、視線は流れる大地を見るしかない。誘拐犯は彼を酔わせたいのだろうか――あながち、間違いでもないだろう。これは想像するに難くない。
「一体何が目的なんだ……? 暗殺する事も出来ただろ……」
「まず、人質。それと賭け――ですね」
「人質……は分かるけど」
 その声は恐らく女性なのだが、それは関係無い。ただ、その声の意思を図ろうとするのみ。
「賭けって――」
「我々の正しさを証明出来るか否か」
「ルシファーズウイング……だよな?」
「ええ。その通り、ですよ」
 ふと魔法を使ってみようかと思ったが、周囲に複数の気配を感じる。さすがにこの状況では無茶であろう――不意にホバーから蹴落とされるだけで致命傷を受ける事が予想できる今、採るべき行動は特に無い。そう判断する他にない。
「さて、大司祭殿」
 今度は別の声――男性の声だ。だがこれは聞き覚えがある――あまり聞きたくなかったのだが。
「出来れば、あっさりと終わってほしくはない物だな」
「無茶、言わないでほしいなあ……」
 早くも、事態は悪化の一路を辿り始めていた。出来れば、夢であってほしいが――この感覚、そして記憶から掘り起こされた恐怖がそれを否定してくれる。
 行動は取らないが――事態打破のためのロジックは解かなければならない。これもまた一心に。


    *



 ヒュムネシアに到着したのは、予定通り、あの気まずい時間から半日ほど経った時刻であった。街を出た時点はまだ空が暗かったが、今は日が落ちた最中――やはり暗い。結局、移動そのものに一日をかける羽目になった――しかし、ここからである。
「移動中の分まで、今から動かないといけないんだよね……気が重い」
「移動は俺達の努力に依らない。だが、ウィンディアの発見は依る……ここから勤務時間だ」
「さっきまではただの出勤、ね」
 ホバーボードに乗っていた間はのんびりと――仲間が誘拐されたとは思えないようだったが、ここからはまさに努力を要する事象。自分達の足で発見し、救出するのだから。

「さあ、行くぞ――?」
 不意に、体を貫くような錯覚を覚える。いや、或いは事実かもしれない。後ろを向けば、仲間は顔を合わせている。
「聞こえた……また」

 アクアの呟きを耳に入れる――気分が重くなるのを感じた。苛々とした気分が湧き始める。エッジは目を閉じる。ああ、そうか。成程……舌を噛み、もう一度目を開ける。少し、血の味がするのを彼は感じていた。それで気分が安らげばよかったのだが。
「で、神様は何と仰ったのですかね」
「……それは」
「山を探せ、と」
 口ごもる一人の少女を後目に、アクアは彼の苛々をしっかりと見ていた。が、だからと言って彼女のように言葉を濁すのはよろしくないのだ。
「そうか……見えるな」
 町の一方に隣接する山――それ以外に該当する物は見えない。つまりそれが答えである――謎かけをしてこない所は評価できる。伝説は時に回りくどいのだから。
「聞こえたみたいだね。それじゃあ、行こうか」
「そうだな、こんなに明らかなら……急ぐぞ」
 十何時間ぶりかに聞いたフィラネスの呼びかけに、エッジは素直に同意した。正しいのだろうから。気に入らなくてもそれは正しいのだから。ただ、事実は心を癒さない。
 走り出す――急ぐ事が大事。動く事もまた大事。ふとエッジが横を見ると、アセリアの顔が見えた。目を逸らしたくなる――互いに。
「アセリア」
「エッジ――わたし」
「悲しそうな顔だな……笑顔を見せてくれ、苦しみで苦しみを癒そうと思うならそれは間違いだ」
 それが無理な事は分かっている。分かっていても縋りたくなる。何故だろうか? 何故これほどまでに辛いのだろうか? その答えも彼は分かっている、ほとんどの事が分かっているのにただ一つ分からない、癒し方。
「こんな時、どうすれば、笑顔になれるのでしょうか?」
 難しすぎる問い。それに答えるには、彼の経験は少なすぎる。それでもただ一つ言えと言うのならば。
「笑顔を忘れない事……なんて言って、誤魔化せないよな」
 本当は誤魔化しているつもりはない、それでもそう付けずにはいられなかった。よりよい方法があると信じて。

inserted by FC2 system