『フォレスティア教会司祭、ウィンディアは預かった。ヒュムネシアにて待っている』
 たったそれだけ書かれた矢文を元に現地に到着してみれば、歓迎もされず剣も突きつけられず、ただ静かなだけ。不自然と言えば不自然ではあるが、フィラネスは恐れを知らず歩いている。そう、彼にはまさしく神が付いているのだから。
「神の正義が、敗れるはずが無い」
 そこに僅かな曇りも無い。あるのは自らは神の使徒であるという自負。神より託された誇り。絶対なる意思。迷わず歩き続ける。神が完全なる未来へと導いてくれるのだ。

 既に敵地が見えているかのごとく、ただ一点のみを見据え進むその男をプレアは見ていた。その背中にうっすらと揺らぐ物が見える、そんな気がしていた。
(羽みたいだ……天使のように)
 オーラとでも表せばいいだろうか。汚れ無き白が広がっているような錯覚を覚える。
 後ろを振り返る。エッジは機嫌が悪そうに見える。先程の声に因るものだろうとしか思えない。やはり、彼には何も聞こえていない。神の言葉はまさしく光であろう――しかし、それは間違いなく彼を苦しめているようだ。この場にいる中でただ一人、その光の「輪」から排除されてしまっている。
(誰が神なのか知らないけれど――最悪だよ)
 エッジの苛立ちがそのまま伝わっている気がする。しかし、彼にとってそれは異常ではない。エッジは、彼にとって一つの希望なのだから。

「プレア?」
 苛々を強めていきそうになるが、死角からかかった声は彼を震えさせるに十分だった。
「うわあっ!? え? あ。えっと、アクア? どうか……した?」
「貴方、随分と難しい顔をしているけれど。どうかしたのは貴方のほうじゃないの?」
「え、そんな難しい顔してた?」
 プレアは演技が得意とは言い難い。実際、アクアから見たらもう顔がひん曲がっているかのようである。キュウリぐらい。緑に塗ったら完璧ね……そんな事を言われては彼は急激に落ち込んでしまう。
「キュウリの曲がり方してたらもう人の顔じゃないよね……」
「端的に表したかっただけ。文面通りに捉えない事」
「分かるけど、さあ」
 プレアからするとアクアは少し前まで他人だった。そんなアクアだが、纏う雰囲気が何となく冷たげなのに対して思ったよりプレアにも話しかけてくる。まるで昔から仲間であったかのように……あり得ないのだが。
 ただ、それを聞くと彼女は言った。どうせ、すぐに仲間となるでしょう――
「エッジの苛々は分かるけれど、プレア。貴方はどうして変な顔になるほど怒っているのかしら?」
「いや……神様がその……ケチだからね」
 フィラネスの耳に入らないよう、空気だけを伝えるように口を開く。しかし言ってハッとする――アクアも立場的に――
「そうね。私も、随分性格が悪いと思うわ」
 信仰する者の上に立つ――というのに、彼女も概ね同じ意見であった。
「アクア……?」
「何?」
「言っていいのか?」
「問題無いと思うけれど」
 口を閉めるようなジェスチャーを見せながらも、全くそれに対して悪びれる様子は無い。ただ、一つ付け加えた。
「ウィンディアがいる時は言わないように」


    *


「奴等、ここに向かって来ています! 一直線です!」
「天啓が聞ける、とは言われているようだが……まさか、本当に聞いているのだろうか?」
 どちらにせよ、既に居場所は割れているらしい……さすがに予想していなかったらしく、幹部格と思しき男も考え込むように目を閉じる。もう一人、同じく立場があると思しき女は先程から目を閉じたままだ。
「到着してすぐにここへ向かって来るなんて……策士殺し、ですね」
「全くだ。これでは天啓の話も信じたくなるものだな」
 ルシファーズウイングがエルクライスを攻めた時、途中まではそのまま落ちるかと思われていた――彼らの間でも。ただ、予想外の事態が二つも起きた――アセリアと、そしてフィラネスである。
 アセリアが天使である事を彼らは当然知らない――男の方も、見知らぬ魔法を撃たれた、ぐらいの認識でしかない。警戒度合いは大幅に上げる事となったが……しかし、フィラネスについては更に問題であった。

『貴様が教皇か。その命――』
『神の意思に刃向う愚か者よ、裁きを受けろ』

 果敢にも向かってきた三人の命知らずを取り逃してすぐ、あの男は現れた。一瞬は高を括っていた、しかしそれが過ちである事に気付かざるをえなくなる。
 あの時は、凍り付くような威圧感を感じたと彼は言う。そう、力という物では無い、まさに、「神が付いている」というのが事実ではないかと思わせる、そんな力。まるで未来を見ているかのように自らの攻撃は避けられ、誰も、自分すらも気づかないウィークポイントを初撃から狙われる。自らの持つ力では――いや、人の持つ力で覆せる物では無い、格の違う力。
「他の連中は敵とは言えない――が、それもこれによる物……教皇は既に気付いているかもしれん」
 男が懐から取り出したのは、どす黒い石――闇のエレメントが詰まっているようにも見える。

(あれは……)
 未だ縛られているウィンディアはそれを見て考える――そう。そういう物がある。石には時に強大なエレメントの詰まった物が存在し、それを身に着ける事で自身の能力を増幅させることが出来る事がある。……らしい。
(あんな黒い石……ブローチとかにしたら結構人気出そうだな、海外とかに売ってるのかな)
 敵の予想外の事態が起きている事が分かったせいで、ウィンディアには若干精神的に余裕が出来ているらしい。その思考はあまりにもボーっとしたものになっている。
 ……この時に彼が気づいていればよかったのだろうか?

「これを失ってしまえば、青い髪の女とそこの奴相手は危険になるかもしれん。残りの赤い奴とおまけには勝てると思うがな」
「おまけ?」
「連中に黒い髪の男女がいるようだが、うち男の方だ。あの時唯一接近して来なかった……そもそも部下に聞くまでは存在すら分かっていなかった」
「それは弱いからではなく、賢明であった、とは?」
 その言葉が僅かな沈黙を紡ぐも、男の次声はその調子を変えはしなかった。
「考えられるかもしれんな……さて」
 更に次の声はウィンディアの方を向いた。それに気づき、ウィンディアはキッとした表情を見せる――場は当然、緊張感に支配され始める。ボーっとしている暇がある方が異常だろう、それは彼自身も思う。
「こいつをどうするか……人質として使えるか?」
「あまり期待は出来ない、ですね」
「まあ、そうだな……教会という物は所詮そんな物だ」
 不意にウィンディアの脳裏を掠める一つの光景。それは今から殺されるなどというビジョンでは無い。もう少しだけ先に起こるかもしれない事――

『それが神の意思ならば』

(違う――)
 それはすぐに掻き消えた。そんな事、あるはず無いのだから。しかし、反論の言葉は、何故か口から出てこなかった。その理由が、敵の考えるそれとは全く違うとしても。


    *


 その場所が中腹に近いとはいえ、少し小さな山の中。再び日が昇るにはまだ遠い、そんな時間に既に彼らは辿り着いていた。
「随分と守りを固めているみたいだが」
 既に場所を特定された以上、守りを固めるのも必然――とはいえ、エッジは肩を竦める他に無かった。
「多すぎる」
 過剰ではないかとも言えるほどに。確かに、この一行は教会の最強の面子に近いわけだが、ほぼ未成年の集団相手にそれは大人気無さすぎるのではなかろうか。若干と言うより完全にズレた考えだとは彼自身も分かっている、しかしそれでも大人達の数の暴力っぷりに溜息を吐かずにはいられない。
「何かの集会でもするのかってぐらいの数ね……全体のどれくらいを注ぎ込んでるのかしら」
「ざっと見て数十人はいるけれど……中にもっとたくさんいるとしたら、ちょっと」
 おそらくウィンディアがいるであろうと思われる洞窟が見える――その前のちょっとした広場の密度の濃さをどうするか。
「そうだエッジ、囮作戦なんてどうだろう」
「俺が思うに、相手の警戒の八割以上は教皇様だろうから対して意味は無さそうだな」
 到着後、フィラネスはずっと目を閉じている。機を待っている――それは明らかだ。
「自分で突入のタイミングを計っては如何でしょうか教皇様?」
 どうせ神の言葉を待っているのだろう。それを見越して少し煽ってみるが特に反応は無い。とはいえ、エッジも別に反応を欲しくは無いのだが。
「顔にラクガキしても動かなさそうですよね、フィラネスさん」
 確かにそのような感じもするが、試してみる気は起きない。視覚的には間違いなく面白いだろうが、そもそもペンが手元に無い。あったらやるのかと言われても困るだろうが。
「とりあえず、彼が目を開けるまで待ちましょう。ウィンディアの安否に関わる以上、慎重を期す必要があるから」
 言いつつ、アクアは敵の集団に再び目を向ける。一方で全身の感覚は周囲に向ける――もう見つかっている可能性も決して捨てられる物では無いのだから。
「そ、そうだよな……ウィンディア、もう死んでるとかじゃないといいけど」
「そんな事言わないでください! 怖いです!」
「ご、ごめん!」
「縁起でも無い、とかじゃなくて単に怖いんだな……」

 その時、フィラネスが開眼した。それだけで空気のざわつきを感じる――
「フィラネス?」
 こういう時、例え気に入らない事が多かろうと、この男の力を感じざるをえなくなる。確かに、場の空気が変わるのだ。何らかの強い気を感じる、そしてそれは確かに現状を光へと導いていく。そのための力を彼は持っているのだから。それは、認めなければならない。疑いようの無い真実を感情で否定するには無理がありすぎるのだ。
「神の名の下に――今、裁く。さあ、行こうか」
 曇りの無い意志が、眩しすぎる。光差すように、導かれるままに、彼はその場所へと飛び込んで行った。発見を伝える怒声が響くとともに、一閃の剣音が響く。考える間も与えないか――諦めに似た感情と共に、エッジもまた飛び出していった。アクア、プレアと続き、最後にアセリアも開けた場所へと出て行った――たった五人の出現に、その広場が制圧されるのも時間の問題。


「この声は!」
 洞窟の中までその声は響き始めた。紛れもない彼の仲間達の声が聞こえた事は、心に安らぎを与えてくれる。軽減されつつあった不安も、今や吹き飛んでしまったかのように。むしろ、この瞬間に何も出来ない事の方がよほど問題となるだろう。
「来たか……教皇の相手は我々がする。お前達には他の連中の相手を任せる、くれぐれも油断してくれるな」


 剣の鞘で敵の鳩尾を突く。何も刃を刺す事無くとも敵を無力化する事は出来る。一見、現実を見た事の無い子どもの集まりに思えるかもしれないが、実戦経験は確かだ。実際に目の前にするとやはり見た目からの油断があったのだろう、想像以上に呆気無く敵は数を減らしていくばかりだ。
「大きいのは図体だけかしら」
 アクアが見た限り、既に敵が怯え始めているように思える。つい先程の瞬間、プレアが炎の魔法で敵の武器を融かしていたのを見たが、どうやらそれだけでも彼らにとっては異常事態らしい。確かに、普通は焼ける程度ではあるのだが。
「この女一人ぐらい――」
「ウォーターカッターはよく切れるのよ」
 彼女自身は水の魔法を放つ――剣の刃がどこかへ飛んで行ったのを見れば、もう立ち止まる他にない。その男は何が起こったか分かってすらいないかもしれない。ただただ呆然とするばかりである。
 戦意を喪失させる――最も手早い勝利方法である。ここに至るための道筋は幾つか存在する。そして、可能な限り殺さない――それもまたこの勝利に繋がる一つの手段である。
「もう終わり?」
 そのうち、アクアに接近を試みる相手がいなくなる。それは、相手が冷静な感情を持っているがゆえの事――人を興奮させる要因はいくつかあるが、その中の一つに血が存在する。痛みが我を忘れさせる――という者もいるが、つまりそういう事であり、無暗な攻撃はかえって相手を激昂させ、無駄な火種を作る結果になるという。
 ただし、最初にこのような行動に至った理由は極めて単純な物であり、このような考察結果など微塵も考慮されていなかったのだが。

 同様の結果がエッジとプレアの周りにも起こった。それは現段階では勝利とイコールであり、自然ともう一人――アセリアに対する接近も試みられなくなる。単に事象が連鎖したに過ぎない。
「構っている時間は無い……ウィンディアは何所だ? 答えによっては……そうだな」
 殺る気は無いとは言え、そのためにも脅しは有効的だったりする。死の恐怖は大抵の人間にはある――そして、目の前にいる人物がいつ例外行動を起こすか分からない。そのために今、敵は動けない。

 そして声が聞こえなくなり、ただ風の音、木の葉擦れる音だけが流れていくようになる――そこでエッジは気付いた。僅かな血の香りへと気を向ければ、幾つかの倒れ伏す人の形。
(まあ、裁くとまで言っていたからな)
 むしろ、全てを殲滅せんとするかとまで思っていた。フィラネスが思ったより血を流させなかった事は、エッジにとっては驚くべき事だった。いや、やはりエッジは必要以上にマイナス方向の補正をフィラネスにかけていたのだろうか?
 目が合う。後ろを見ろ――鞘を振りかざす――呻き声が響く。
「叫び声ぐらい聞こえる、舐めすぎだ」
 恐怖を砕くは声の力か。そう思うと、結局恐怖には人は抗えないのかもしれない。


「随分と律儀な振る舞いをしてくれるではないか……さすが、高位の者達は違うな」
 そう、恐怖に人は抗えない。
(俺も、な……)
 その男の出現――十分、予想が出来る事ではあった。しかし、覚悟が不足していたかと思うほど、体が固まるように感じる。
「そう簡単に勝てるはずも無いか」
「まさか、既に勝った気でいたのか?」

 途端、フィラネスが動いた。目の前の男も動いた。エッジはまだ動いていない――ただ、二人を結ぶ直線状から逃れる事だけを考える。この男を倒す事は自分の役割ではない。

 
「今度こそ、裁く」
「現れたか……教皇め!」
 その距離は加速度的に縮まる――それから逃れたと思った矢先、初めて現実は襲い掛かる。足元に青い光が見えた――それは魔法陣の端。

「フィラ――うっ!?」
 あまりにも突然だった。痛い、しかしその場所が咄嗟に分からないほどに突然の事。二、三秒の時間が彼に膝の異常を気付かせる――何かが刺さっている。
「氷……」
 顔を上げれば、一人の女が立っている。直感が危険を伝えるが、そんな事は分かっている。

「教会の犯した罪を貴方は知っていますか」
「罪……探せばそんな物、どこからでも出てくるだろう、内外問わずとも」
「そう、ですね。しかし教会の罪を裁く者はいませんね」
「……そうだな」
 魔法陣が広がる――次は無い。突き刺さった氷柱を無理矢理引き抜くと、エッジは駆け出した。

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