世界に幾つか存在する大陸の内でも有数の広大な大地を持つアンブロア大陸。エルクライスと、そして渦中のウェストブロシアはこの大陸の広さに比べれば比較的近場に存在する。それゆえ、その惨状を見せられれば人々も動揺する。
 ましてや――
「ルシファーズウイングって、反信仰を掲げているっていう……アレ?」
 プレアは冷や汗を流しながら隣の二人を見て問いかける。返答は無く、それと同様にプレアもまた画面に集中し始める。
 画面は変わり、燃え上がる街を上空から見る形となる。今度は女性の声が聞こえる。
「い、今ご覧いただきました通り、ウェストブロシアの街は酷い有様です! 私も何と言えばいいか――え!? そ、操縦士さん、逃げ――」
 声が遮られ、次に鳴り響くは砲撃音。そしてまた声、続いてノイズ、途切れ――画面には何も映らない。目の前で人々の脳裏に焼きつく事となった一瞬の悲劇に広場も声一つ無く、限りなく静寂に近い物となった。

「何なんだよ……」
 スピリスの苛つき混じりの声を切っ掛けにしてか否か音が戻り始める。ざわつき、怯える声が聞こえる……その中で、三人はしばらく動かなかった。周りの人々が少しずつ減り始めてから、ようやく彼らも次の声を出し始める。
「ウィンディア様。ああいう連中ってぶっ潰せないんですか!? あんな事をやる連中……」
「スピリス、落ち着け。こんな事は初めてだ……今まではあくまでも叫んでいただけ」
 アンブロア大陸は全土に教会の教えが広まっており、その威光は崩れ得ぬ物となっていた――ウィンディアの生まれる遥か前から……歴史を紐解くと数百年ほど前から――そして、教会の一部の人間はその権力を用いて横暴の限りを尽くしていた――神聖なる存在を讃えるはずの教会には相応しくないが、そのような輩は確実に存在する。
 ルシファーズウイング……反信仰・反教会組織。その名前を聞き始めたのは約二年ほど前から。虐げられていた地域の人々が教会の支配から抜け出すために結束。その地域の教会を潰したという。当初、組織の発足した地域の教会については度々問題となっていた。しかし、直接手出しをする前に反教会組織の手により破壊され、彼らに警告を出すも内心は一息ついていたのが実情である。
 とはいえ、当然ではあるが彼らはその勢力の拡大を開始する。それでも発足地域での活動と違い、教会の悪事の糾弾が主な活動であり、そのような後ろめたい事の少ない、あるいは存在しない地域ではルシファーズウイングの活動が及ぶ事も無かった。当然、彼らの手で失脚した高位の司祭や枢機卿もいたのだが、そこまで追い込まれる者は相応の横暴を働いた者ばかりのため直接的に問題視される事は無かった。何より、それを問題視して次に目を付けられるのを恐れた、という者もまたいるのだが……
 しかし今日行われた事はそのような些細な事では無い。破壊と殺戮――それ以外の何物でもない。これが問題となる事は間違いないだろう。
「まさかこんな事になるなんて……ウィンディア様、ウェストブロシアについての悪い噂は?」
「いや、あの地方については聞いていない。むしろウェストブロシアは熱心な信者が多く、伴っているのか教会の上層部も綺麗だったらしいし」
「ウェストブロシアの大司祭って言えばすごい美人で、俺もあんな人のボディーガードしたいなー、なんて思ってましたし」
 スピリスが余計なひと言を言い出した……本当に余計だった。
「はいはい、不埒者は後で懺悔室だからな。さて……どうするかな。丁度今エルクライスにいるんだから……」

 
    *


「十日後、各地の大司祭にお集まりいただく事となりました……本音を言うならばもっと早くお集まりいただきたい所なのですが、今のこの状況、移動にも慎重にならざるをえないと言う事で……」
「ノースブロシアとかの近場ならともかく、ネクトやエウスマキナはこことウェストブロシアを挟んだ対極だからなあ……空路も安全ではなさそうだし」
 大教会の司祭と渋い顔で考え込むウィンディア。スピリスは現時点でやる事がないために自由行動を取りだしている。彼は熱しやすいが冷めやすくもある。とはいえ……根深くもあるのだが。
 もう一人、プレアはと言うとエッジと連絡を取ると言っていた。彼はウィンディア同様にエッジと仲が良かった。なお、このような場でなければウィンディアとも敬語を使わず話す仲である。ともあれ、そのためか教会内にはいない。大教会内部では細心の注意を払ってか魔力を中和する結界が張られており、雷のエレメントに頼っている連絡手段は専用の物でなければその効力を発揮しない。糸電話は使えるがそれはどうでもいい。
「ともあれ、十日後か……俺は一度フォレスティアに戻ろうかな……こっちでも話し合うべきだろうし」
「それがよろしいでしょう。幸い、フォレスティアとエルクライスの間ならば問題は起こらないでしょう。大司祭勅命の特別便ならばすぐ出せるでしょうし、よろしければ飛行艇の打診も……」
「あの巨大飛行艇か? さすがにそれはなあ。まあ、海路でもすぐだから問題ないよ。勅命は出す羽目になりそうだけどな……フォレスティアの方からこっちに出る便が減るだろうから」


    *


 数時間後。三人はフォレスティアへ向かう船……正しくはスノーリウム唯一の港へ向かう船に乗っていた。当然、着くまでは暇なのだが。船は閑散としている……一つの聖堂の大司祭の扱いは、アンブロア大陸においては国の主賓クラスに匹敵する。とはいえ、教会の膝元であるエルクライスと、特に信仰の篤い国であるスノーリウムの間だからこそすんなりと通るというのもある。
「とりあえず、まずは全員集めて会議かな……他人事じゃない、いつフォレスティア……引いてはスノーリウム全土に影響を及ぼされるか分からない」
 あまり大きい船ではない。豪華さなどは必要無かった。そもそも、好きではない。
「反信仰、かあ……」
 ウィンディアは信仰を疑う事も無かったため、反信仰という事がどのような感情から来るかを読み切る事は出来ない。しかし、単に自分が分からないだけで、どうしようもない物がそこにある事は薄々分かっていた。
 決して、一部権力者のみが原因なのではない。更に根元にある問題があるかもしれない……そう考えた時、傍らの台に置いていた連絡機に着信が入る。
「ん? 姉さんか……はい、フォレスティア大司祭――」
「ウィンディア、聞こえるか? 大変な事になった」
 いつになく切羽詰った姉の声が聞こえる。ラーヴァの深刻そうな声はイコール異常事態の発生を意味する、少なくとも彼の周辺はその認識だった。否応無く緊張が高まってしまう。おそらく、その原因は既に知っている事ではあるのだが。
「大変な事って、ウェストブロシアの……?」
「ああ、それに関してだが……聖天騎士団のウェストブロシア遠征の許可を貰いたい」
「遠征って……姉さん、いきなり――」
「救援要請が届いている。ウェストブロシアの数少ない生き残りは予断を許さない状況……至急救援に来てほしいとの事だ」
 至急。わざわざ短距離ながら海を越えなければならないスノーリウムに「至急の救援」を頼むと言う事。一見おかしな事だが、実はそれほど問題のある事では無かった。
 聖天騎士団は、とある物を有している。

「……可能な限りは武装解除で済ませろ。それと、出撃限度は三割の人員までだ、今の状況では何が起きてもおかしくない、守りを手薄にする事は危険だ」
「了解した、早速出させてもらう。すまないな、ウィンディア」
「……死ななければ何でもいいよ」
「弁えるさ、それじゃあ――」
「ちょっと待った、もう一つ……」
 思い立ったウィンディアは、一つの伝言を託した。


    *


 スノーリウム唯一の港町にエッジは立っていた。スノーリウムの七割以上の土地は年中雪が降りしきっている。フォレスティアはその範疇ではないが、それでも半分近くは雪が降る……この港町は年中降る方の場所である。冷え切った風が身を包むが、エッジは特に気にする事は無い。
(想像以上に効果があるな……)
 エッジは服の内側に特別な鉱物を混ぜて作ったカイロを仕込んでいた。彼にとって、化学反応の類はまるで手足のように扱われる。それぐらいに、様々な知識を溜めこんできた。
 ――その本分は、基本的に薬に役立てられるのだが。
「ん、ようやく来たか」
 実際は、彼はここで一時間以上待っていた。伝言で呼びだされたエッジは可能な限り早いルートでこの港町まで来たのだが、流石に急ぎ過ぎたようだ。ふと横を見ると、雪の塊が鎮座していた。……何か刺さっているような形に見える。
「天然冷凍庫ってか」
 雪を払いのけて手持ちの荷物を取り出すと、呼びかけ、船着き場へと歩き始める。
「行くぞ……」
 深く積もった雪を一々踏みしめなければならず、移動にも一々苦労がかかるのがこの地方の厄介な点である。
 荷物を持って船着き場に向かう――ただの旅行者のよう……荷物に、明らかに剣らしき物が刺さっているのを除けば――いや、この世界には魔物と呼ばれる存在がいる以上、やはり旅行者のように見える。
 二つの足跡は、数分だけ残っていた。

 数日見なかった友人との再会は、さも何事も無いかのような雰囲気。
「エッジ、ごめん。待たせた」
「問題無い。新型カイロの実験をしてたからな……面倒で試す事すら無かったんだが、ここまで来た以上はな」
「はは……あれ?」
 しかし、ウィンディアはエッジの横にいる何者かに目が移る。黒い髪の少女……見覚えが無い。こんな友人がエッジにいた覚えも無い。そもそも、彼にとって黒髪の人物はプレアぐらいしか思いつかない。それぐらい、黒髪はこの地では珍しい。……光合成出来そう、などと言われた彼も十分過ぎる珍しさなのだが。
「……エッジがまたナンパした!」
「やめろ! この前のアレだって道に迷っている人を案内していただけだ!」
 子どものような煽りか、あるいは本当にそう思い込んだのか。どうやら、以前も同じような事を言った事だけは確か。その言葉を聞いて、もう一人の黒髪がウィンディアの後ろから顔を出す。
「大司祭様がすごい物言いを……」
 しかし、同じ髪色の少女を見たプレアは固まった。じっと見つめ。

「惚れたか」
 先程まで茶化されて――或いは単純に誤解されて――いたエッジが逆の立場に回る。
「え? いや、そういうのじゃないから!」
 矛先が向いてしまい、そそくさと再び船の中に乗り込んで行ってしまう。
「やれやれ。見とれてたように見えるが……で、ウィンディア。この子だが……お前の熱心なファンだそうだ」
「ファン!?」
 どうやら本当にエッジがナンパしたと思い込んでいた仮にも大司祭の青年は唐突な事態に驚くしかなかった。口が開き過ぎて、馬鹿に見える。問いかけるしかない。
「え、それ本当?」
「えっと……はい!」
 ファンことアセリアは少し口ごもったが……動転しているウィンディアにはよく分からない。ファンというのは語弊ありか。エッジはようやく目的の人物の目にかかった少女に問う。
「それで――わざわざこの事態を聞いておきながらもここまで来て、大司祭様ことウィンディアに何の用があるんだ?」
 
「……フォレスティア大司祭様。お願いがあるのです」
 改めて向けた顔は、真剣そのものだった。

 
 この時、何故かは分からないが、目の前の少女に何かを感じた。それはまだ、はっきりとは分からない。

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