エッジとアセリアを乗せた船は、エルクライスへの帰路についた。今後の動向を話し合う間もなくラーヴァは飛び出す羽目になり、実質的にウィンディア達がフォレスティアに戻る必要性も薄くなってしまった。
 混乱を避けるべく、ウィンディアはスピリスに文書を持たせてフォレスティアに戻らせた。大司祭の護衛に付くような人物の中でも、スピリスは腕は確かであった。それゆえ彼がいれば最低限の混乱は防げると考えたものだった。
「プレア、お前も戻ってもよかったんじゃないか? 俺一人でもウィンディア一人の護衛ぐらいは出来る……護衛が必要かも怪しいがな」
「いや……一応立場もあるし。それに、何ていえばいいか分からないけど、あの……ルシファーズウイング、何か気になってさ」
 へえ……と、一言返すとしばらくエッジとプレアの会話は途切れた。その中で、プレアはちらちらと同じ室内にいたアセリアの方を見ていた。エッジとしては、そんな彼が不審者のように見える。
「そういう理由か。なるほど」
 出来る限りのニヤニヤとした表情を浮かべたエッジにプレアは一瞬震える。しかし、彼はそこから反論し始めた。エッジとしては、その反論はあまりにも滑稽に聞こえる。これほどまでに分かりやすいというのに。
「お、俺はそんなんじゃないよ……! た、ただ!」
「ただ?」
「ひ、左を向きたかっただけ……なん……だけ……ど――」
 明らかに目を逸らしながらそんな事を言われても、説得力も何もあった物では無い。
「まあいい。俺は少し風を浴びてこよう……プレア、変質者の仲間入りをしないように」
「しないって!」
 椅子から立ち上がると、室内に残っている二人を同時に視界に捉えながら部屋を出る。結局、ドアを閉めるまで捉えたままであった。

 変質者という言葉を頭で反芻させて勝手に動揺しかけたプレアだが、とりあえずアセリアの方に向く事にした。すると、アセリアもプレアの方を向く。
「……もしかして、さ」
 分かりやすいように見えて――その実は別の理由がある。

 
    *


 他に人影も無い甲板に行儀悪くも空を仰いで寝転がる。まだスノーリウムからあまり離れていない現在、空に多く見えるは雪の香り。最も、この船には降り注いでいなかったが。そんな景色を見続ける事数十分ほど経っただろうか、音と共に新たな物体が視界に入ってくる。赤い物体が、空を飛んでいる……
「本当に、大掛かりだなあ」
 それは、聖天騎士団の所有する大型飛空艇であった。他国への攻撃、などという概念の存在しないスノーリウムにおいてこの飛空艇の出撃はいわば異常事態の発生シグナルだ。今頃ちょっとした騒ぎになっている事だろう……が、そんな事を気にするより、その騒ぎの原因を国内に入れない事の方が大事だ。そう考えていると――
「出たみたいだな」
 同じ向きに遥か速く飛び去ってゆく飛空艇を眺めつつ、それでもって声をかけてきた。
「ああ、エッジ。そういえばさあ、あのアセリアって、本物のファンなのか? というか、俺ってファンが付く立場か? 歌手でもないのに」
「そうだな……朝早くに街のゴミ拾いをしていたのを見たんだろう」
「なるほど……早起きっていいな!」
「まあ、そうだな」
 フォレスティア在住でもないアセリアがその光景を見ている訳がないが、ウィンディアについてはある程度いい評判を聞いていた。一部、まだ子どもと言える年齢のウィンディアが大司祭という立場に付いているのを快く思わない者も比較的高齢の人物に多かったが、エッジから見ればその点だけを挙げて批判する人物は大抵問題があるように見えた。
「その子どもに信頼で負けてる時点でお察し……」
「ん?」
「いや、ちょっと考え事をしただけだ。もう終わったがな」
 小さくため息をつきながら、空から海へと目を移す――すると。
「おや、こんな日に船出とは物好きな……人の事は言えないか」
「え? 他に船が……?」
 エッジの視界に小さく入った船。ウィンディアは立ち上がると怪訝そうな顔をする。普通の船は出ていないと聞いた……個人所有の船だろうか。
「……スノーリウムに向かってるのか」
 船は徐々にはっきりと見えてくる。こちらは反対の向き……エルクライスに向かっている。が、よくよく見ると、こちらとその船はまさしく向かい合う位置になっていた。少しずつ違和感が増してくる。
 黒を基調としたカラーリングの船、棘々しい装飾。そして……船首に付いた……黒い羽と赤い瞳のシンボル?
「何て悪趣味な船だ。ああいうのが格好いいと思っているのか」
「エッジ……」
「どうした、船酔いでもしたか? 薬なら――」
「そうじゃなくてさ。あの船に付いてるシンボルマークみたいなの。あれって――」

 それを聞いてエッジはようやく気が付いた。目の前の船が何なのか――
「趣味だけでなくやる事も悪趣味な集団じゃないか……」
 突如、砲撃音が響きわたる。


 威嚇射撃のつもりは更々無いらしく、放たれた砲弾は船の甲板目指して一直線に飛んでくる。まさしく、殺すための一撃であり、一切の慈悲は感じられない。敢えて捉えるなら……「一撃で逝け」という所が慈悲か。海に沈んで死ぬよりは一瞬で消えた方が楽なのかもしれない。
「何なんだよ、一体!」
 ウィンディアの憤りはもっともだろう。突然命を狙われればそうもなる。
「全く、八つ当たりも甚だしいな……ところでウィンディア、俺は砲弾を斬ったりは出来ないわけだが……そもそも、武器は室内にある」
「分かってる。それに、多分斬ってもそこで爆発するだろうし……とりあえず、エッジは武器とプレアを取ってきてくれ。砲弾は俺が対処するからさ」
「分かった。すぐ戻る」
 急ぎエッジは船内に入っていく。それに振り向く事なく、近づいてくる砲弾を見据えると、ウィンディアは……

 
    *


 さすがに砲撃音は船内にも聞こえたらしく、プレアは慌てて飛び出してくる所だった。
「エッジ、今の音って!?」
「敵襲だ。ルシファーズウイングとか言う悪趣味な連中のな。ウィンディアが武器とお前を持ってこいと言っていた」
「持ってこいって……いや、それ聞いてる場合じゃないんだよな!? すぐ行く!」
 急ぎ甲板へと駆けていくプレアと、落ち着いて武器を取りに行くエッジ。そんなエッジの目の前に、もう一つの人影が現れる。
「アセリア?」
「あ、エッジさん! 今、何が起きているんですか!?」
「襲われた。そうだな……壁に緊急事態時の対処法の紙が貼ってあるから、それを見て――」
「襲われた……? なら、わたしも手伝います!」
「は?」
 目の前の少女はいかにも強い意志を秘めています、と口で言うかのように目を見開いてエッジを見つめている。しかし、ただの女の子にしか見えない、武器を持っている訳でもないような人物を前に出せば、逆に足枷になってしまう事だろう。エッジの目算ではそれほど危険な事態になるとは思えないが……それでも、抵抗がある。
「そうやって申し出てくれるのは有難いが、ここはこっちに任せておいてもらえないか? ただでさえ偉い人もいるというのに、複数人の面倒は見きれない」
「大丈夫です! 自分の身は自分で守れます!!」
 です、ます、が気合を言葉にまで叩き込んだかのような響きを聞かせてくる。それだけ足手まといにはならない自信があると言う事なのだろうが、それでも――
「だからと言ってわざわざ――」
「では、先に甲板に出てますね!」
 ――引き止めようとしたのに走って抜けられてしまった。
「お、おい……!」
 だが、急いで追うよりも早く武器を取るべきだろう。この場合は……最悪、自己責任なのだから、それに引きずられて自分まで失敗を犯す訳にはいかない。
 急ぎ部屋に戻り、剣と……小さな袋を荷物から取り出すと、彼も甲板へと戻っていく。


 爆発音が幾度も響き渡る。爆風が視界を埋め尽くす。だというのに、ウィンディアが甲板に平然と立っているのには理由があった。それを知ってか知らずか、徐々に敵船は接近する。
 不思議な事に、砲弾は空中で突如爆発を起こし、その爆風は何かに遮られたかのように流れていく。その異常な光景を目の当たりにしながらも、ウィンディアは表情一つ変える事無く立っていた。
 もし、敵のいずれかがウィンディアをよく見ていれば何かに気付いたはずではあったのだが。
 甲板に上がってきたプレアは、ウィンディアを見るとその手に持っていた弓――彼の得物である――のフレームを腕に引っかけると、気の抜けたかのように壁に寄り掛かる。
「これ、何もする事ないよなあ」
「いや、あるよ」
 爆音は未だ響いている。
「数名ほど船に招いてお持ち帰りだ」
「……懐柔でもする? それで、俺の役目って何?」
「侵入させた奴を取り押させる係り、かな」
「肉体派じゃないのに……」
 襲撃を受けていると言うのに今は余裕の表情を見せるウィンディアを前に、あまりプレアは言える事も無かった。
「それにしても、エッジなら数倍強力な砲弾が作れるよ。あいつら、材料費を節約しすぎてるんじゃないか?」
「敵の武器に駄目だしとか、余裕過ぎるよ……ウィンディア」
 これは、初めから勝負になどなっていなかった。

「これは、一体?」
 ふと後ろから少女の声がする。二人が振り向くとアセリアが口を開いたまま立ち尽くしていた。
「アセリア、わざわざ出て来てくれたのか? でも、ウィンディアがほとんどやっちゃったみたいだよ」
「やっちゃった……って、どういう事ですか?」
 敵船は余程近づいてきたのか、爆音が止み始める。視界を埋める赤を背にウィンディアは自慢げに語りだした。
「この船は要人用の物だから、防御用のバリアが備え付けられているんだ。で、それが作動して……そこに俺がもう一枚重ねてやっただけなんだけど、砲弾が想像以上に弱くて……」
「つまり……魔法で防いだ、と言う事ですね」

 魔法。この世界においては珍しい物などでは無い。大気中に存在する様々な種類のエレメントから力を引きだす……それが魔法。今、この時代においてはその単純な利用法が確立され、ある程度の練習を重ねれば誰でも使用できるに至った。
 もっとも……本当に強力な物、となると使用者は限られるが。

「そういう事。まさか無傷になるなんて思ってなかったんだけどな」

「な、何だあ!? 全く効いてないぞ!?」
 晴れ始めた視界の先から何者かの声が聞こえる。明らかに焦りと動揺を含んだ、滑稽な声が。
「あれだけ撃ち込んだというのに!」
「こうなりゃ、首を直接取ってやれ!」
 今度は力強い雄叫びが上がる。それも一人二人ではなく、数十人以上のもの。勇ましい……というよりは、無謀だ。
「異常事態が起きた時は、冷静な対処が要求されると言うのに」
 残された一人が甲板に上がった時。最高のタイミングだった。

 
    *


 大教会の一室。一人の女性が入ってくるのを見て、フィラネスは神妙な面持ちで対応する。フィラネスは本当に若いが、入ってきた女性も彼ほどではないにせよ若いと言えるだろう。鮮やかな青髪が白基調の部屋に映える。しかし、その形は崩れており、折角の美しさも台無しだろう。……それでも、人を惹きつけられそうなほどであるのだが。
「……大変だったみたいだね」
「ええ……愛する街は、焼けてしまったわ。そして、今残っているのはこの身一つのみ。出来れば、この話は後にさせてくれない?」
 窓の傍に立つ女性の顔に、反射した光の線が引かれている。
「今は、彼らのための鎮魂歌を創らなければいけないの……」

(天使様……降臨なさるのならば、早くそのお姿を……!)
 青髪の女性の姿を見て、フィラネスはただ、祈らなければならなかった。もしかしたら、天使はこの――これからの、悲劇を止めてくれるかもしれないとその期待を持ちながら。

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