彼女が、謳っている。
「清らかなる魂へ、光の祝福を――」
 消えてしまった場所への悲しみと責任。生き延びた者の義務。自らを信じて逃がしてくれた者達への礼。

 
    *


 船に雪崩れ込もうとする敵を敢えてそのまま入らせる。……のは、途中まで。突如バリアが再形成され、彼らはあっさりと分断されてしまった。当然、気づいた時には手遅れであった。
「ようこそ、お茶は用意してやるから気絶して待っていろ」
 まるで緊張感の無い言葉と共に、エッジは入り込んだ敵の間を素早くすり抜けていく。当然、単に通過するだけではない。ガッ、という鈍い音、そしてドサリ、という音の流れが数度に渡って響く。
「あんまり騒がしくするなよ?」
 どよめきを背に、表情を変えずに言い放つその言葉は、突然の攻撃と共に、強烈なプレッシャーを与える物だった。とても、その年齢の人物の放つような威圧感ではない。それでも、突入早々にほとんどの敵の戦意は挫かれてしまう。
 見えないほど速い攻撃という訳では無い。人間の動きの範疇である。それでもこれほどまでの効果があったのは、おそらく……
「こいつら、鍛えてるわけじゃないみたいだ」
 ウィンディアは一息ついていた。砲撃こそ大した物では無かったが、乗っている人物が強いと言う可能性も考えられた。だが、たった数十秒程度の間に凍りつくほどの連中が強いとは思えない。プレアも概ね同意見だった。
「大の大人がこんなにあっさりと怖気づくなんて、組織の名前の割にはしょうもない物なんだ……安心した」
 その言葉にはまるで悪意は感じられない。プレアは心の底からの安堵を味わっていた。しかしこれほどまでの屈辱は無い。

「ふざけるな、神の威を借るクズどもが!」
 突然大声が上がったかと思うと、突然彼の視界は暗くなる。
「え?」
 消えた太陽を追った先には、今まさに叩きつけられようとしている黒い塊が見えた。
「プ、プレアさん!?」
 後ろから叫び声が聞こえる。

 戦いというのはあまりにも無常。人は一瞬の油断でその生に終わりを告げるだろう。そうして、数多くの命が潰えてきたのだ。そう、人を殺す最大の凶器は自身の中にある――
 だがそれは、
「消えろ、クズ――」
「燃え尽きろ、『ファイアボール』!」
 途方もない力の差があっては機能しない……エッジが、そう言うかのように肩を竦めて見ている。
 声の、そして「消え去った」鉄球の主であった大男は目の前で起きた新たな異常事態の前にまるで人形になってしまったかのように動かない。叩きつける直前の、怒りと一種の歓喜を孕んだ表情はそのまま、これも固まっていた。
「あ……あ、ああ……」
 その仲間達は存在しえない物を見ているかのように声を震わせ、中には何かが折れたのか、へたりこむ者まででる始末だった。既に気絶している者も含め、侵入者の七、八割は既に戦闘不能であった。
「危なかった……鉄球なんか振り回すなよ、危ないだろ!」
「危ないのはどっちだ」
 詠唱も投げたというのに鉄の塊が蒸発するほどの炎を出す程の魔力の持ち主は、間違いなく鉄なんかより危険だろう。エッジは突っ込まずにはいられなかった。これも余裕のなせる業か。
「なんてったって、プレアは破壊力だけならすごいからな!」
 いわば自分の部下の力が示された状況のウィンディアは傍らで得意げだった。見事なドヤ顔を披露している。しかしそれなら「だけ」を入れないでもらいたい。プレアはひっそりそう思っていた。
「す、すごい……そんな事、出来たんですね」
 一方アセリアはきっちり感心していた。
「それに、エッジさんもさっきの、凄かったです」
「人体の急所を知っていれば、素手でも十分に昏倒させられるさ」
 理論に裏打ちされているのであろうそれは、さも当然かのように言い放たれる。事実、このような事が出来る物は少なくないのだが。

「あ、ま、待ってくれえ……!」
 突然、今度は情けない言葉が上がる。命乞いか、そう思うと声の主はウィンディアやプレアとは全く違う方向を向いていた。見ると、先程の船が徐々に離れて行っているようだった。
「お、おい、置いていくな!」
「も、戻って、戻ってきて……」
 大の大人達の威厳も無く、懇願するような声や悲鳴、絶望を塗りたくられた表情が次々と並ぶ。男女問わず、恐怖に失禁しているような人物までいるようで、エッジはそのある意味倒錯したような光景を見て、溜息を付くしかなかった。
「とりあえず、甲板掃除だな」
 仕事が、増えた。それだけである。

 
    *


「あ、わたし……拘束の魔法、使えます」
「本当か? じゃあ、こいつらをとりあえず縛っておいてくれないか?」
「分かりました!」
 敵味方に関わらず、怪我人はほとんど出る事は無かった。例え敵が殺す気で襲ってこようと、戦意を根元から折ってしまえばそれで終わり……ウィンディアはそう言っている。
「恨みを買った張本人でもない以上、これだけはっきりと折っておけば問題無い」
「そういうもの、なんですか?」
「ああ。もしまた来るというなら、二度折れてもらうだけだ」
 床に傷や染みが出来ている。傷はどうにも出来ないが、染みなら取れるだろう。この船は、木製ではない。エッジは先程からずっと床を布で擦っていた。
「殺してしまうと、誰かの恨みを買う。そうしたら、今度は本気で殺しに来る奴が出てくるかもしれない……面倒だろう? 面倒事を避けたいなら、こうやって、可能なら傷も付けずに終わらせる」
「出来ない場合は、どうするんですか……?」
「そうだな……秘密裏に、薬でも飲ませるか」
 これに関しても表情一つ変えないエッジ。対し、アセリアは更に質問を重ねる。
「どんな薬を?」
「聞きたいか?」
「聞けるなら」
 ここでようやく彼が口元を緩める……
「そうだな、年齢退行や性別転換の薬で戦闘能力を奪ってやったり、一時的に記憶をロックさせてある事ない事吹き込んでやったり、その辺りが一番楽そうだな……ああ、でも年齢退行の薬は失敗してたな」
 表情と裏腹に、内容が物騒すぎる。
「何だか、楽しそうですね!」
「だろう?」
 アセリアは何も考えていないのだろうか、屈託のない笑顔であった。彼らもまた、危険ではないのだろうか……プレアは遠目で見ていた。魔法で縛り付けられてしまったルシファーズウイングの大人達に今度は目を向ける。
「これ、俺達が悪役っぽく見えていやだなあ」
「何か苦い顔してるけど、どうかした?」
 一時船内に入っていたウィンディアが声を掛けると、プレアが言ったのは「エッジって危険じゃないか」の一言ぐらいだった。
「いい奴なんだけどなあ」
「いや、分かるけどさ。ほら、結構前の事だけどさ……あいつ、性別転換の薬を俺に盛ってきたじゃん」
「自分の身で実験してるから大丈夫だと思うけど……」
「そういう問題じゃなくない!? ウィンディアもエッジも倫理観どっか吹っ飛んでない!?」
 当然、場は弁えている。が、親しき中に礼儀が欠けているのは問題である。
「あ、またエルクライスが見えてきた」
「うん、「また」だな……何か、船に揺られ過ぎて疲れて来たけど」
 その時、ウィンディアの懐から何か音が鳴り響いた。
「あ、連絡が……誰だろう?」
「誰からの連絡か分かれば便利なんだけどなあ……」
「次のモデルはパネル搭載して表示機能付けるとか何とか――はい、フォレスティア大司祭のウィンディアです……え!? アクア!?」
「え、アクアって……アクエリス様?」
「もういるのか……え、わざわざ港まで来るのか? 大丈夫なのか……? ……あ、ああ。分かった。」
 連絡機を懐に戻す。そして、ウィンディアは笑顔を見せる。……少し霞んだ笑顔に見えるが。
「無事だとは聞いてたけど……声聞くと、少しは安心するな」

「なんだ、あいつの事、少しは心配していたのか」
 聞きつけた危険人物が近寄ってくると、少しだけ心外そうな顔だった。
「死ぬとは思えなかったけど……多分、港まで来るっていうのは、そういう意味なんだと思う」
 アクア、という人物は……
「ああ、成程な……そんな気持ちにもなるだろう……」

 ウェストブロシアの大司祭である。

 
    *


「礼を、祈りを、気持ちを、未来を――」
 アクア――アクエリス・アルテシア――は歌を……彼女自身の創った、亡き者達への鎮魂歌を歌いながら歩いていた。その手元には一冊の本が抱えられている。
「未来を――……駄目。こんな上辺だけの言葉で魂は安らぎを見出せない。私の為すべき事を果たせていない……」
 悩んだ末に選んだ言葉もまたあまりにも陳腐で、彼女はその程度しか見つからない自分への苛立ちを募らせていく。こんな事をするより何とかして占拠されたウェストブロシアを取り戻し、彼らの亡骸を丁寧に弔ってやりたい物だ。しかし、彼女にそれが出来るほどの力は無い。
 彼女もまた――エッジやプレアと同等、あるいはそれ以上の実力がある――と、ウィンディアは言うが。ルシファーズウイング……何も、ウィンディア達を襲ったような情けない者ばかりなはずはない。そして、彼女の大切な街を襲ったのは、生半可な存在では無かった。
(せめて、私一人でなかったならば)
 他者といくら力を比較しようと、本当に必要な時に活かせない程度の力など、意味は無い。守る事の出来なかった、それはあまりにも大きすぎた。考えれば考えるほど憂鬱になっていく、何かをしなければこのまま沈んでしまう、しかし今、彼女には何も出来ない。あまりにも歯痒い……より強く、苛まれていく。
 そこへ、現在唯一と言える救いが現れる。
「……来た」
 船が、近づいている。


「久しぶりだな、アクア」
「ええ……何かあったみたいだけど、元気そうで安心したわ」
「こっちはあまり安心させてもらえないがな……安心させてもらおうと言うのも、酷か」
「あまり、貴方達まで気にしないでくれると助かるのだけれど」
 これだけ明らかな強がり。エッジ達はすぐに真意には気づいた。いや、アクアもその真意を隠そうとはしていないのだろう。それを見る事は、辛い。
(いつもなら、こういう奴では無いんだがな……)
 人に構ってもらおうとするような人物ではない。何かあっても自分だけで何とか出来る。そんなイメージが彼らの中にはあった。そして、彼女は「義務」や「責任」の言葉をよく使う。
「表向きは、気にしていない事にしておこう」
「……ええ。それでいい」

 すると、プレアが船から未だ茫然自失の者達を引っ張ってきた。変わらず表情は酷く、とても拘束を抜けようとできる精神状況の者はいないように見える。
「……ルシファーズウイング」
 彼らの一部は、服にもそれを示す物が付いていた。当然、この状況で……アクアが反応しないはずが無い。
「アクア。気持ちは分かるが、この場を血で染めるのは無しだ」
「ええ……どうせ、彼らは街を襲ったものとは別でしょう。興味無いわ」
 それでも、怒りそのものは隠せない。隠す必要も、今は無いのだが。
「とりあえず、これからこいつらを問い詰めて情報を引きずり出そうと思う。お前も、聞きたい事があるだろう?」
 これには声は無く、ただ無言で彼女は頷いた。

 時に……プレアは、アクアと直接の面識が無く、そして今の状況で取るべき行動に悩んでいた。
「うーん……えっと……こいつらは先に連れて行った方がいいかなあ……アクエリス様はこいつら見ると心中穏やかじゃないみたいですし……」
「いえ、そこの貴方。独断先行でミスを犯されると困るわ」
「え? あ、は、はい」
「プレア。さすがにそいつらから目を離しておきたくは無い。予想外の事が起きる可能性もある……元々、あんな所からの襲撃自体が予想外だ」
「あ、ああ……分かった」

 プレアは、話した事の無い相手との会話は苦手らしい。

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