突然響き渡った轟音は、その目を覚まさせるには十分だった。
(何? 今の音……)
 彼女の全てが崩れ去った日は、始まりから既に不穏であった。その聖堂の一室、アクアの私室はウェストブロシアの街を一望する事が出来る。そんな場所から見た光景は……煙の立ち上る非日常だった。先程の音が爆弾、あるいはそれに準ずるものである事はまだ活発に働いていない頭でも理解することが出来た。その異常事態が、意識を覚醒させる。
(襲撃……何者が!?)
 誰が、何のために……それが、この時の彼女には全く分からなかった。ルシファーズウイング……その名は、この事件以前は、ほとんど気にされるような言葉では無かった。ゆえに、認識の外に追いやられる。それでも、この異常事態を何とかする、という方向性だけは決まる。着替えをすぐに済ませる。大司祭の身分を知らしめる法衣は身に纏わず、最も早く着る事の出来る服を選ぶ。急ぎ外へ出ると、既に街の防衛を担う、この街の自衛団が襲撃者との戦いを始めていた。
 怒声が唸りを上げ続ける中、アクアは自衛団のリーダーを探した。今の正確な状況を掴むために……だが、それは叶わなかった。
「……これは」
 それを見つけた時には既に遅く、その男は息絶えていた。いや、今となっては本当に探していた人物かは分からない……夥しいほどの火傷を負っていたゆえに、正確には分からなかった。しかし、その男が使っていた剣が隣に落ちていた。
 ギリ、という音を鳴らし、その剣を拾うと、アクアは戦いの渦中へとその足を進めた。唐突に砕け散った平和。目の前にある現実。大切な物が消え去ろうとしていた。それを……許す事は出来ない。

 ついにその敵を視界に捉える。見た事のあるような、でも何だったかは思い出せない、そんな紋章を付けた人々。男女問わず、青年から壮年ほど、あまり統一性の見られないような人々。彼らは、まるで怒りのままに武器を振り回しているかのように見えた。……怒りたいのはこっちだというのに。

 今まさにアクアがその戦いに身を投じようとしたその時、しかし……背後から腕を掴まれた。
(しまった……!?)
 一瞬、死を覚悟する。しかし、その手の先には見覚えのある人物。彼女の部下と言える司祭だった。
「アクエリス様……貴女はお逃げください!」
 小声で、しかし彼女にはっきりとその意思が伝わる声で言われたその言葉。しかし、いきなり逃げろと言われ、はいと言えるような状況ではない。
「何を言っているの……! 私には相応の身分と力がある、私が戦うのは必然……犠牲者も出ているなら尚更!」
「無茶です……! 敵は今見えている数の数倍は超えています!」
「今の……数倍以上!?」
 司祭、そして更に数人の信徒はアクアを戦線の遥か後ろへと引っ張り、街の見張りから伝わった情報を更に伝える。強力な武器や兵器を持ち、この街の自衛団の十倍以上とも見られる勢力で攻め入って来た敵の情報を……アクアは、この街が何故それほどの攻撃を受けるのか……受けた衝撃を隠す事は出来なかった。
「……どうして」
「分かりませんが……どうしようもありません。昨日まではそんな気配も何も無かった……ただ、今日の明け方になってあの連中はいきなり現れました。準備をする時間があったならともかく、突然の襲撃でこれでは……!」
 始まった時には既に詰みだった。いきなり叩き込まれた絶望の中に、更なる怒りが湧き出す。
「だからといって、逃げろなんて、この街を見捨てるなんて事は――」

 その時、想像を絶するほど悲痛な叫び声が背後から聞こえた。思わず振り返ると――
「お前が、大司祭か……」
 その瞬間、怒りの感情が消えた――いや、上書きされた。


 恐怖に



 
    *


「その男は、強過ぎた。私には何も出来なかった……」
 アクアの話を聞いたエッジ達は、顔を見合わせる。
「ウィンディア……様。アクエリス様ってどれくらい強いって――」
「俺の方が防御は得意なんだけど……」
「総合的に見れば同等だろう」
 エッジが自身の考えを述べる。
「最も、一対一なら相当守りの堅いウィンディアの方が上かもしれないけどな」
「そんなに強いアクエリス様が何も出来ないって……」
「格が違うのよ……後、ウィンディアと呼び捨てにする仲ならわざわざ私に様を付ける必要もないわ」
 アクアの表情からは、その悔しさが直接伝わってくるようだった。その場でどのような戦いになったのかまでは見えないが、相当手厳しくやられたのであろう事は言葉通りに分かる。
「私に、もっと力があれば――」
「あ、あの……アクア、さん?」
「――何?」
「貴女は……力があったら、その男に復讐するつもりですか?」
 アクアに、アセリアが問いかける。
「……普通なら、復讐なんてくだらないと言いたいけれど」
「する……のですね」
 自分の愛する街を滅ぼしたその男を、許す事は決して出来ない。それが彼女の考えだった。そんな彼女を見て――
「どうして……人と人とで、憎しみ合う事になってしまうのでしょうか」
 アセリアが言葉を漏らすと――
「ある意味、俺達が生きているって事なんだろうな」
「え?」
 エッジは、その疑問を払拭する事も無いまま、アクアに向く。
「アクア。あの話は聞いたか?」
「あの話――というと?」
「天使が降りてくるとか、そういう話だ」
「それなら……フィラネスに聞いたわ」
 一同は、空を見上げた。突然起きた悲劇、これから起こるかもしれない更なる悲劇にも関わらず、その空は青く広がっていた。人とは関係無い領域。まるで、こちらを憐れむかのように。
「降りてくるなら、早く降りて来てくれればいいのに。私はもう、どんな救いにもすがりたいぐらいなのに……」
 その時、ウィンディアは呟く。
「……来るさ。信じていれば」
 その表情は、確信に満ちていた。

「救いの手を差し伸べてくれる……きっと。俺も、信じてる」
 エッジは、そう語る彼を、見つめていた。その表情は――どことなく曇っていたように見えた。

「希望は……捨てきれないよな」
 ふと、昔が見えるような気がした。

 
    *


 連行した襲撃者達は、しばらくウィンディアに怯えるばかりでまともな言葉を話そうとすらしなかった――が、日を空ければ少しはそれも収まるようで、少しずつ元の敵対心の状態に戻っていった。もっとも、一部はトラウマになってしまってまるで元に戻っていないのだが。これはウィンディアからすれば心外だったようである。
「そんなに恐れられるような事やった訳じゃないような……プレア。やり過ぎだぞー」
「ええええ!? こっちのせい!?」
 どれが原因かは不明である。あるいは、全部と言う可能性もある。中には何もしていないアセリアにすら怯える者もいた。
 それはともかくとして、ようやく情報を聞き出せる状況になったとあって、エッジやアクアはそれを仕入れるために彼らのいる場所にやってきた。

「てめえら! この縄を解け!」
「縛られたくなかったならそもそも襲って来るな」
「うるさい! 貴様ら……!!」
「随分都合のいい思考みたいね……正義に溺れているの?」
 彼らからすればこちらは完全な悪であるらしい。それだけは、態度から読み取れた。そのまま睨み合っては埒が明かない……ならば、どのように話をさせるか。
「どうやら、教会絡みで相当嫌な目に遭った事があると見える……どこの教会だ? 誰がやった?」
 声に出来る限りのドスを効かせる――とはいえ、エッジ本人からするとどれだけ効果があるか分からないが。それを効かせる方向も、目の前の相手では無く、彼らを苦しめたであろう者に対してである。そうして、少しでも理解があると思わせる――それが彼が今ここで取れる全ての手段。
「オーロランド……」
「ああ……成程な」
 オーロランド。その場所は、今は最早教会の無い場所……というより、街がもう存在しない場所である。それはほんの少し前の話。
「オーロランドの大司祭は、突然人が変わったように強欲になり勝手な重税を作り人々を苦しめた。あれこそ、因果応報のいい例だ……教会からしても迷惑極まりなかっただろうな」
「ええ……アレは教会最大の汚点とも言えるわ。結局、大司祭の女自身、最終的にはほとんどの信者にすら裏切られ殺された……悲惨なものね。これが無ければルシファーズウイングも生まれなかったっていうぐらいだしね」
 これこそが、かの組織の起こりとなった事件である。つまり、目の前の彼ら……少なくとも今呟いた男は組織設立時からのメンバーとなるのだろう。
「それにしても、まさかこっちにまで攻撃してくるとはな……一応、フォレスティアでは教会は施設の一つ、ぐらいの意味合いしか無いんだがな。信徒は確かに多いが……」
「貴様らも同じだろう! 初めは甘い言葉で騙しておいて、権力の基盤を作ったら好き勝手しやがって……権力者というのはそういうものだろう!?」
 その後ろからも、そうだという声が多々飛んでくる。その強い憎しみは、一種の狂気染みた空間を作り出しているかのようだった。しかし――
「貴方達のトップがそうならないとも限らないでしょう? 貴方達を焚き付けただけかもしれない」
「なっ……」
「言うねえ、アクア」
「だって、そう思ったのだもの」
 一瞬、静まり返る……が、すぐに正面の男が再び口を開く。
「ファナ様がそんなお方であるはずが無い!」
「ファナ?」
 即座に聞き返すと、その男はしまった、というような表情で固まってしまう。意見のぶつけ合いで情報が更に出てくる、と言う事はあるかもしれない……とは思ったが、確率は低いとも思っていた。が、出てきた。
「おそらく、重役ね。男か女かも分からないけど、調べさせる価値はあるかも。何か洗い出せたりして」
「そうだな……出来れば、次の計画といったものも聞き出したいが、多分口は割らないだろうし……そっちから行くか」
「てめえら――」
「ああ、そうだ。そういえば――俺は教会の重役でも何でもない。肩書きは一般人だ」
「私は重役と言えば重役だけどね」

 ルシファーズウイング。怒りのままに動いているのであろうか、彼らはどのような考えを持って動いているのだろうか。全てを悪と決めつける彼らもまた、それに当てはまってしまうだろう。
「人を苦しめる人を討つため、自身が人を苦しめる。これだったらむしろ、金のために戦っている奴の方が潔いんじゃないか?」
「そうでしょうね……でも、その気持ち――分からない?」
「それとこれとは、話が別だろう……感情論だけで理論武装は出来ないぞ」

inserted by FC2 system