「どうせ、建設的な話なんてしてないんだろうな……」
 プレアは大教会内の大扉の前で冷ややかな目をしていた。今、この扉の中で行われているのは、各教会の大司祭達による会議……その議題は勿論ルシファーズウイングである。
「ここの大司祭見る限り期待できないし……」
 ルシファーズウイングの発端は一人の強欲によるもの……そして、教会内部において、引いては何らかの組織の上層部という物は大抵、腐敗という概念が一枚は噛んでいる物である。全員を知る訳では無いが、何も一人だけではないような気がする。
「あの二人が頑張ってくれればいいけど……最悪、天使に祈りましょうとかいう結論に至らなければいいけれど」
「その通りだ……」
「ん?」
 ふと、聞き覚えの無い声が聞こえてくる。その方向を振り向くと、彼よりも二回りほど年上であろう男がいた。
「えっと……貴方も、こういった状況を憂う者って感じ――ですか?」
「ああ。願わくば、救い無くとも光満ち溢れんことを――」
「……仰々しくないですかー、それ」
「格好つけたくなる物さ」
 男はそのまま立ち去って行った。プレアは何となくその男の事が記憶に焼きついたような気がした。

「何だろうな……何か……何だろう?」
 そうしていると、ギギギ……という音が背後から――大扉から聞こえる。どうやら、話は終わったらしい。のだが――
「あれ……ウィンディア――様は?」
「ウィンディアなら、教皇様と話しているわ。昔」
「あ、そうなん……ですか。教皇様と……」
「昔の友人だからね……そういえば貴方は何故ここに?」
「あー……何となくです」
 実際、彼がいた理由は無いのだから仕方ない。一応、彼は元々の役職として大司祭の護衛であるため、それなりに信頼があり、そこにいても問題自体は無いのだが。
「思った以上に貴方、ボケーっとしているみたいね」
「あ、よく言われ……はしないですね」
「言わずもがな、という事ね」
「貴女は随分ときついですね……」
 若干傷ついたが、公的な場なので敬語を崩しはしない。部屋から出てきた他の人物達と同じように、二人は外へと出て行った。

「そういえば――貴方、アセリアって子はどんな子だと思う?」
「え!? えっと……ファンなのでは? ウィンディア様の……」
「……そう。そう思うのね?」
「え、は、はい」

 
    *


「天使が降りてくるって、言ったよな……それって、こういう事が起きたから降りてくるって事なのか?」
「詳しい理由までは僕には分からない……けれど、予知されていた可能性はある。……それこそ教えてほしかった気もするけれど、これは一種の試練なのかもしれない」
「試練……」
「我々、人間が乗り越えなければならない試練……そう意味を取れないかい」
 理に適う。そもそもの原因も人が作り出した物……それに対して、神に等しい存在がいちいち出向く必要があるだろうか。
「でも、一体どうして降りてくるんだろうな……ふと思ったけれど」
「神の、天使の意思を僕達の思考に当てはめようとするのは愚かだと思わないかい?」
「……それもそうだな。ところで、結局さっきの話で結論まとめなのか?」
「乗り越えるべきものには、全力で立ち向かわないと」

 
    *


 つい一週間ほど前と同じ宿。広い一室にエッジ達五人が入っていた。
「教会側から仕掛けるって……本気か?」
「ああ。フィラネスが押し通した。俺やアクアが言ったとしても止められるだろうけど、あいつは天の声を聞く奴だからなあ。反論なんて誰も出来なかったよ」
「まあ、渋そうな顔をしていた面子が少しいたけど。ここの人とかね」
「だろうな」
 問答無用で意見を押し通す事が出来るのはフィラネスただ一人だろう。権力の腐敗に真っ向から立ち向かう物は二つ……一つは反逆。そしてもう一つは更に強い権力。
 人は得てして孤立を恐れる。権力という物に抗いがたい理由である。

「とはいえ、まずは調査からだけどね……情報が無いからさ」
「分かるのは……リーダーと思しき人物の名前のみ、ね」
 つい先日聞き出した「ファナ」という名前……様付けである以上、少なくとも重役か何かだろう。とはいえ、これ単体で意味のある情報とは言えない。
「せめて外見とか、他の情報が無いと……」
「あの人達からまた何か聞き出せないのですか?」
 アセリアの言う事は確かに最も現実的だろう。だが、一朝一夕で根掘り葉掘り引き出せる訳では無い……はず。
「自白剤のようなのはさすがに人道に反しすぎるからな」
「……え? 作れるんですか!?」
「昔の本に載ってた。再現出来るはずだが……」
「さすがにそれはやめなさい……」
 洗脳の類に近い物はいけない。
「とりあえず、教会の方で調査活動を行うらしいから……今は待機かなあ」
「そういえば、アレについての話は?」
「アレ?」
「聖天騎士団だよ。今どうなんだろうな?」

 前日、聖天騎士団はウェストブロシアへと救援に向かった……とはいえ、アクアの話を考えると、到着時には既に生き残りがいない状況もあり得ただろうが。それに、アクアが手も足も出なかったという何者かが甚大な被害を与えている可能性がある。
「姉さんは、退く時はサッと退くから大丈夫さ。犠牲が出ない事を第一に動いているからさ。一人だと分からないけど……」
「まあ、ウィンディアが生きている限りはラーヴァが無暗な事をする事は無いだろう……大事な弟がまた悲しむからな」
「彼女、相変わらずなのね……まあ、仕方ないか」
 アクアは若干呆れるような物言いながらも、申し訳なさそうな顔をしているようだった。彼女からすれば、あの街については彼女や街の人々が守るべきだったもの。それをわざわざ遠いフォレスティアの人々に任せる事になってしまうというのは、心苦しい事だった。
「……無事だといいけれど」
「友の愛した街を助けに行く事なら、ラーヴァなら喜んでやることさ。重く感じる必要は無いだろう?」
 アクアの気持ちをどれほどまで察したかは分からないが、エッジはそれを緩和しようとしていた。とはいえ、大きな効果は無いだろうとも思っていた。ラーヴァが、それに騎士団の他の面子も無事に戻ってきてくれない限りは、払拭のしようも無い。
 普段のような態度の中にも、若干の不安は見え隠れする。

 
    *


 夜……エッジはランプの灯りで本を読んでいた。アクアはうっすらとした暗闇の中で外を眺めているようだった。他の三人はどうやら部屋で眠っているらしい。
(本当に……いきなりだったな)
 僅かに半月前は平和を謳歌していたというのに、あっという間に自身の置かれた状況は変わってしまった。気づけば、教会が反抗勢力に攻撃を仕掛けるなどという事態になりかけている。エッジ自身は別に関係者という訳では無いが、周りの人物が軒並み関係者だ。
(刺激は人生に必要……とは言うが、何もこんな事でなくてもいいと思うがな)
「やれやれ……」
 思わず口に出てしまう。アクアが顔を向けるが苦笑して済ます。下手に気を遣うよりは自然に接する。悲劇を目の当たりにする羽目となったアクアだが、それに対して無理な素振りを取ろうとしたところで彼女の心は僅かばかりも癒えないだろう。彼女の方に逆に気を遣わせる可能性も高い。
 いくらこの頃あまり会っていなくとも、仲間は仲間……互いに深い所を知る仲である。だからこその態度だろう。
 そうしていると、相手側から口が開く。
「エッジは眠らなくていいのかしら?」
「それ、そっくり返すか?」
「近頃眠ると悪夢を見るのよ。夢を見ないぐらい深く眠れる薬、無い?」
「あるにはあるが、副作用もあってな……起きても眠い。一週間ぐらいずっと眠い」
「面倒ね……改良は?」
「お望みならば進めよう」

 一度話を始めてしまうと中々終わりは見えない。迷惑にならない程度の声量で、二人は様々な事を話し始めた。
「最近、調子が悪いのよ」
「当たり前だろう……お前の置かれた状況を鑑みれば調子が悪いで済むのが恐ろしいぐらいだ」
「まあ、そうかもしれないけれど。歌、創れないのよ」
「……歌、犠牲者のための?」
「ええ。何か、知恵を貸してくれる?」
「時間をおけ」
 このあまりに身も蓋も無い発言だが、アクアからすればこの解答が予想の範疇であり、ある意味では望んだ答えでもあった。先延ばしにする口述が、彼女には欲しかった。彼女一人ではどう足掻いても重くのしかかり、気分を重くする。ある意味では、赦しが欲しかった……のだろう。
「そうするわ。……ところで」
「どうした?」
「あのアセリアって子、何?」
「この前言った気がするが……」

 ここ数日の間にアクアはこの質問を一度行っていた。
「あのアセリアって子、何?」
「ウィンディアのファンらしい。歌手でも無いのにな」
「……ただの追っかけって事?」
「いや、用があるとも言っていたな。とはいえ、状況が状況だから言い出せなくなったようだがな」
「まあ、この状況だとね……」
 しかし、口では納得しているようだが、どことなく彼女がアセリアを見る目は鋭い物のようだった。

「あの子、本当にただのファンか何かなの? 私には……そうは思えない」
「はあ。行動力のあるファンなんてどこにでもいるだろう」
「……プレアは、何か気付いているような気がするけれど」
 このタイミングで突然出てきたプレアの名をエッジは訝しむ。彼の考える中ではプレアは……
「あいつは、鈍い部類だと思うが」
「でも、プレアがアセリアを見る目は何か違う気がするのよ」
「一目惚れでもしたんだろう?」


 数分ほど間が空き、アクアが再び口を開いた。
「貴方もきっと鈍いのね」
「どういう意味だよ……」

 
    *


 夜が明けた頃、そこには――
「はい、上がり」
「……次は本気だ」
「そのセリフは何回目?」

「エッジ、アクア。何やってるんだ?」
「近頃流行りのボードゲームをだな……」
 それを聞いたウィンディアは表情を険しくする。まだ若いながらも、人を萎縮させそうな、冷たい表情――それを見せている。だが、その理由は。
「……何で俺も呼んでくれなかったんだよ! 夜更かししてボードゲームとかこんな楽しそうな事を!」
 若い。

「何これ……」
 数十秒遅れでやってきたプレアはよく分からない雰囲気に戸惑うしかなかった。ただ、その事情を知ったら彼もこう言うのである。
「……俺もやりたかったなあ」

 崩れ去った平和の合間にある、まるで平和であるかのような一幕に、彼らは笑っていた。

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