十二、三年ほど前の話だっただろうか。まだ様々な事を知らない年齢のエッジがウィンディアと最初に会った時、ウィンディアは一枚の紙を大切に持っていた。
「それ、何だー?」
 エッジはウィンディアの持つ紙を奪うように取ると、その紙を広げた……そこには、白い羽と輪を付けた誰かが描かれた、下手な絵だった。泣きじゃくるウィンディアの声を聞きつけた誰かがエッジを叱るまで、彼は何故かその紙から目を離せなくなっていた。何故かは――今でもよく分からない。
 ただ、書かれていた存在そのものより――何故彼はそのような物を持っていたのかが気になってはいた。今となっては、その理由も分かるのだが。


    *


 避けたはずなのに、吹き飛ばされていた。危うく壁に頭から激突する所だったが、何とか出来る限りの受け身を取る。
「つっ……今のは」
 先程飛んできた黒い槍……その余波に吹き飛ばされた。それは理解したが、威力が規格外だ。出来れば、今のが大技であると思いたい。
「エッジ、無事か!?」
 ウィンディアの声が聞こえた。どうやら、あっちは無事らしい。エッジはそれを救いとして立ち上がる。今の一撃が続けて飛んでくる可能性がある以上、倒れている訳には行かない。
「何とかな。で、どうするんだ?」
「……どうする、って言われても」
 どうもこの様子では、ウィンディアはあの攻撃を防ぐ自信は無いらしい。
「お、おい……」
 背後で、プレアの弱弱しい声が聞こえる。普段もよくこうなるが、ここまで弱気そうなのは珍しい。しかし、後ろを向けばその理由は嫌でも分かった。
 穴が空いている。壁と家と、その向こうまで穴が貫通している。おそらく、今の一撃による物だろう。どこまで貫通したのかが分からないが、下手をすると街の中心部まで貫いた可能性もある。それほどの威力だった。
 嫌な汗が流れる。つい先日の一件とは比較にならない。初めて、この身で事態の大きさを知る。これは、普通ならば直面しないであろう事態だと。
「ドラゴンのブレスも、ここまでの破壊力は無いだろう」
 深呼吸をして息を整える。先程撃った炎の魔法のせいで若干焦げ臭いが、それでも落ち着きを取り戻すには十分だった。そして、その落ち着きが最善の一手を生む。
「空気が……」
 先程は何も感じなかったそれに、今度は気付く。アクアがそうだったように――
「来るぞ」
 ウィンディアとプレアも気づいたようだ。アクアは先程以上に余裕を持って動き始める。再び闇が輝いたその時、彼は跳んだ。

「何だと!?」
 崩れた壁の近くまで来ていた敵は、このタイミングで動いたエッジに驚きを隠せないようだった。その一瞬の間にその男は急所を打たれ倒れ伏す事となる。脅威では無い二発目の黒槍が風を切り、それが男の敗北を覆い隠す事となった。
「さて……主犯は誰だ?」
 攻撃の中枢であろう術者イコール主犯格を探し始める。もしそれが別人だったら……同じような実力者が二人いたりでもすれば彼は終わりだろう。しかし、待つよりはこれが適切な行動だと考えた。迂闊ではあるかもしれないが、逃げて街に雪崩れ込まれるよりはこの方がいい。
 そして、ここは教会の総本山……彼がいる場所だ。
「トップが最前線に出てくれれば、信者獲得できるだろうに」
 この異常な状況であれば、いずれは出てくるだろう。それまで耐えられれば決して最善の結果を得られない訳では無い。最大の脅威を足止めする。
 彼自身が不思議に思うほどに、道筋は頭に立てられていた。しかし言うは易し――行うは難し――

「……空気が」
「ほう……命知らずがいたものだな」
 凍りついた――ような気がした。自分でも分からないままに動きが止まる――ほんの一瞬、しかしそうは思えない程度の時間。それを破ったのは、神経の反射による動き、そして重い音を立てて振り下ろされた物。
「ほう、避けるだけの気力があるか」
 また、死が見える。目の前の大男の存在そのものが死に見える。

 
    *


「そんな……」
 動かない人々を見て、彼女の思考は止まっていた。その場所は、黒い槍の軌道上――それに巻き込まれ、知らぬままに命を落とした人々。死の瞬間が訪れる事に気付く事も無かったであろう人々。遥か彼方より飛来せし闇に飲み込まれた。
 異様な光景を前にアセリアは涙を流す事も出来ないほどに立ち尽くした――が、彼女はその先へと向き直る。
「――分かっています。わたしは、このためにここへ来た」
 黒い線を辿り、その先にあるものを見据える。歩いていく――恐ろしくない訳ではない。しかし、立ち止まる事は無い。一歩、また一歩踏みしめていけば、その先には――

 
 エッジは壁からそう離れていない位置で敵と出会った。アクアには、その相手に見覚えがあった……その表情が、彼女の纏う雰囲気が変わったのは他の二人にも容易に感じられた。
「あの男は……私も行ってくる」
「俺も前に出る!」
「二人とも偉い身分なのにどうして前に行きたがるんだ……!? さっきの闇の魔法、見た事の無いような威力だった……それなのに、やる気なのか!?」
 二人の大司祭はこの危険事態にありながらどうやら下がる事は無さそうだった。以前の物ならまだしも、今回は敵の実力はいまだ未知数――それも、今見えている限りでも尋常ではない相手だ。それだというのに……
「ここに居合わせているのは俺達だけなんだ! 俺達は並の兵士より余程強い、それで逃げるなんて有り得ないだろ!」
 いや、この二人には自信の立場などといった物は勘定に入っていない。入っているのは感情。怒りと悔しさ、あるいは仲間だけに背負わせる訳には行かないという思い。ウィンディアの言葉に若干の違和感を感じたが――プレアが何を言っても意味は無いだろう。それは分かる。そうなってしまえば、
「これで俺が逃げたらまずいよね……一応、ウィンディアの護衛だから」
 プレアも、諦めじみた表情で二人を見やると、向き直る――前に、視界に別の人物が入った。
「え?」
「プレア、どうした?」
「いや……彼女は?」
 それに二人が振り向くと、黒槍の飛んだ軌道上、その先にアセリアが見えた。距離ゆえにぼんやりとしている――が、彼女である事が何故だか分かった。
「アセリア――!?」
「教会の兵士より先に来るなんて、やる気が素晴らしいわね」
 彼女は近づいてくる。まっすぐ、まっすぐ――
「プレア、お前は彼女を止めてこい! 危険すぎる!!」
「さすがに、並の実力だと足手まといね。それが妥当」
「あ、ああ……」
 走り出すプレア。それを見たウィンディアとアクアは壁の外へと飛び出していく。

 
    *


 何故、敵の襲撃に教会側は気付く事が出来なかったのか。それは単純な答えで、そして危険な事態であった。
「こんな奴が紛れ込んでいるとはな……おい、始末しておけ」
 ぞっとするほどに冷徹な声で、エルクライスの大司祭が命じる。血塗れの男は、最早動かない。
「ルシファーズウイング……まさか潜入されていたとはな。姑息な奴らめ……」
 彼等は彼等で、危険である事もまた示されていた。いかに思想が違うとはいえど、似たような物であるのかもしれない。そんな彼を見る者が一人――
「どうした?」
「おや……これは、フィラネス様」
「……血生臭いぞ」
「いえ、ゴミの始末をしていただけですよ。何とスパイがいたのですよ」
 スパイだったという死体を見る。単に殺すだけなら必要ないぐらいまでに傷つけられているその人物は、おそらく知り合いが見てももうそれだと分からないほどになっていた。それを見た彼は、自身でも気づかない内に顔が引きつっていた……が、相手もそれに気づかないようだった。
「神に刃向う愚か者がいるとは、本当に解せませんな」
 本心は別の所にあるのだろう……声に出さずにぼやくも、表向きは、
「そうだね……ご苦労様」
 取り繕っておかなければならないだろう。このような人物をあまり刺激すれば、何が起こるか分からない。


 スパイが見張りに付いていたために、襲撃に気付く事が出来なかった。この結果を作り出したそのスパイは、出るであろう被害を鑑みれば死を持って償わせる事はあるいは自然な事なのかもしれない。
 しかし、彼の頭の中で、とある考えが渦を巻いていた。
「人は――」
 その先を口に出す事なく、彼は走り出した。向かわなければならない。戦場へと――

 
    *


 感情に任せて飛び出してはならない。それはそうであろうが、若すぎた。若さゆえの過ち、というには事が大きすぎた。ウィンディアはただ呆然とするばかりで、次の手を打つ事が出来ない。
「小僧……これで終わりか?」
 目の前の相手は何の感情も抱いてはいない。攻撃された事を怒りなどしない。蟻が群がって来たところで気にする者は少ない、それと同じなのだろう。
 巻き起こったはずの竜巻はしかし、その男に傷一つ付けてはくれなかったのだ。
「確かに巻き込んだはずなのに……」
 その横から青い魔法陣が描かれていく。アクアの表情こそ穏やかながら、その目には怒りと――そして焦りが浮かんでいる。
「裂けろ、『ウォーターカッター』!」
 空気中の水のエレメントが一点に収束する――数億以上のエレメントが一体となり水の刃を成す、それを見ても男が動じる事は無い。
「罪を償いなさい……その――」

 刹那、男は腕を振る――水の刃を目がけて。そして切り裂かれる――水の刃が。
「――命、で……!?」
 血の一滴の代わりに水が滴る男の腕を見て、その目に浮かぶ感情の全てが焦りに変わる。感情で突き進んだ先にあった残酷さは語るにも及ばず、更に絶望を塗り重ねていく。
 世の中には特定のエレメントに対して強力な耐性を持つ者もいる。彼らも自身の主に操るエレメントに対して、他者に比べれば余程強いと言えるだろう。
 が、風や水、エッジの放った火のいずれもが通用していない。こればかりは耐性で片付く話では無く、本当に「効いていない」のだろう。例え耐性があったとして、普通なら無傷とはいかない。ましてや、高圧水流を手で断ち切るというのは理解に追いつく物では無い。
「最早、人間の領域じゃないな……これは」
 真面目に考える事は意味を為さない。そもそも魔法だって人間が解き明かした物では無い――別大陸に住むと言われる亜人、エルフが最初に手に入れた技術だという――おそらくエッジ達の知らない何らかの力が働いていると考える。つまり、「分からない」

「逃げるべきだったか……いや……」
 これほどの力の差、逃げた所でいずれ追いつめられるか、あるいは先に街を壊滅させられるか。運悪くこの場に居合わせたせいか、少し変わった物に反応してしまったせいか、どちらにせよ彼らの運命はあっさり尽きてしまったのだろう。
(幕切れなんてそんな物か……)
 自分が特別な人間――本で読むような物語の主人公の器だと思った事はエッジには無かったが、ここまで呆気ないとやるせない。せめて今からでも逃げて、少しでも生存確率を……

「何とかしないと……!」
 しかしその横で、ウィンディアは再び魔法による攻撃を行おうとしていた。
「ウィンディア、駄目!」
 先程の威勢はどこへやら――いや、この場合は正しいのだろうが、アクアもエッジと同様に生存の可能性のある手段を考えていた。しかし、それを捨てているかのような動きを見せるウィンディアには悪い意味で驚かせられる。アクアの表情はそれまでとは打って変わり絶望を張り付けたかのようだった。
「でも、こいつを放っておいたら!」

 エッジは後悔した。ウィンディアは、そういう人物だったのだ。身を滅ぼすほどの使命感を時に叩きつける、そんな彼の存在を忘れて前に出てしまったのは失敗もいい所だ。

「ここでこいつを止めなきゃ、ウェストブロシアのようにこの街も!!」
 それを引き合いに出されるとアクアは辛かった。しかし、それでもこの男にこのままの状態で挑むのは苦しい……彼女が葛藤に苛まれる中――
「仲間割れか? なら、それ以上拗れる前に終わらせてやろう」
 遂に、次の一撃が放たれる時を迎えようとしていた。普段は見える事の無い――闇のエレメントが男を中心に渦巻き始める。それは、これまで以上の威力であるとすぐに分かった。
 エッジの誤った打算、冷静さを欠いていたアクアの行動、そしてウィンディアの考え。せめて一つでも欠けていればこうはならなかっただろうか?
 そして、昔の記憶が頭をよぎる――ウィンディアの考えの根源、そして――諦めの息を吐きながら、エッジは最期の瞬間まで思考を巡らせ――遂に視界が闇に染まり

 
    *


 終わりを迎えたと思った――はずなのに。

「――よ――の元に――さん」


 一瞬の黒の後に目を焼くかのような白が視界を包み込み、エッジの思考は吹き飛ばされた。何が起こったかが全く分からない。ただ、彼は自分の心を感じることが出来た。おそらくまだ、死んでいない――ような気がする。
「何が……!?」
 白がまた緩やかに黒へと戻りゆく中、ゆっくりと目を開ければ黒が色に染まり――

「これ、は!?]
 夢を見ているのだろうか? いや、見て「いた」のだろうか? 目の前を照らす光、そして一人、それまでいなかったはずの誰かがいる。それは、彼が幻覚を見ていなかったとすれば、知っているはずの人物。
 彼がいたはずの場所に、いてはいけないはずの人物。彼は手を伸ばす。その手に、彼女が触れる――いや、触れていないはずであった。彼女の背中は手の届く場所より遠く、彼女が手を後ろに伸ばした訳でもない。だというのに、エッジは何かに触れていた――その感覚は、人に触れて感じる物ではないはずだった。そう、まるで、
「羽根……」
 途端、エッジの意識は目の前の光とは裏腹に、闇に沈み始めた。夢の中から、また夢の中へ――

 
    *


 フィラネスがその場所に着いたのは僅か数分後の事。

「天啓――」
 平和を破る者を、討て、と。そしてそれはフィラネス自身の意思でもあった。二つの要因が重なり、フィラネスは人々を守るための剣を――敵から見れば凶刃以外の何物でも無い程の一撃を――次々と放ち、後には多くの遺体が残る事となった。
「守るために殺す、というのは皮肉だね……」
 だが、いくら短絡的であろうとも……感情を一々入れていてはならない。彼は、そのような場所に立っているのだから――そうして、彼は街の外を歩み始める。彼らはすぐに見えた――気を失っている三人を見ると、不思議と傷は無かった。そして、何故か――
「逃げる気か……?」
 あの大男の存在は、フィラネスの知る所にはなかった。そして、後ろの方にいたであろう敵は、引き返し始めていた。目の前の三人を見る限り、敵が敗北を悟ったかのようには見えない。街に雪崩れ込もうとしていた連中の存在を考えると、いや考えずともあまりに不自然な――
「――それは本当ですか!?」
 突如声を上げるフィラネス。彼が何を聞いたのか、それは……神のみぞ知る。

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