「謎の店と不思議な来訪者」



「あいつの喜びそうなものねえ」
 部屋の主の許可も無いまま、アイスが冷凍庫から取り出される。魔力を込めた極上の冷凍庫。下手に手を突っ込めばその身も凍りつくが、慣れているのか何事も起こらない。
「ああ。前に誕生日を聞いていてな……イチゴは許さんぞ」
 ネーヴェに睨まれ、仕方なさげにイチゴアイスが冷凍庫に戻される。そうして、問いを投げかけられたアウルは肩をすくめた。
「分かんねえなあ。なにしろそういう機会に疎いわけで。他に女に物を送った経験とか無いのかよ」
「ライザには毎年刀を渡しているんだが」
 提示された例外がまるで参考にならず、渇いた笑いがアウルからこぼれ出る。プライベートなお付き合いとさっぱり無縁そうなリーダーに対して何の助言をしたものか――そう考え、結局。
「服とか人形とか無難だろ」
「なるほど」
 パッと思いついたものを適当に挙げてしまった。誰もそれを責められはしないのだろうが。まして、それが何かの引き金になるとは思うはずもないだろう。



「こんな所に店なんかあったかな」
 その言葉が示す通り、そこには何も無いはずだった。ところが視界はその事実を否定し、風と雨に数多の歳月を晒したであろう古ぼけた店が建っている。
 道行く人々は誰も気に留めず、不自然な木造建築に目を向けるのは彼一人だった。ネーヴェからすればどちらも不可解だ。店も、人々も。石造りの建造物が立ち並ぶ通りにこれは不自然過ぎないかと。だとすれば。
「見えてないのか?」
 そんなおとぎ話のような、と口に出る。特定の誰かにだけ見える店だなんて、そんなことを実現する魔法を考える奴はそういないだろう――と思うのだが。ともあれ、気になって仕方ないことは確かだ――何より。
『人形店』
 看板に書かれたそれも問題だった。目的の品物が手に入るかもしれないのだから、見逃す手は無かった。ともすればあまりにも無防備に見えるが、仮に罠だとしてもその上から叩き潰せばいい――そう考えているのだろう。そう考えられるほどでなければ、今の立場にありはしないのだから。
 だが、そんな彼を待ち受けていたのは、突破困難を極める障壁だった。
「開かない」
 その扉には取っ手が無かった。なお、彼の居住地……首都アエテルタニスの扉の実に九割九分七厘は取っ手が付いており、残りは取っ手が壊れて開かない扉である。ちなみにネーヴェの部屋の扉は先日力を入れすぎて壊れた。


「まさか、ね」
 店の中に入れば、苦笑いするしかない。人形の店とは言うが。
「どれもこれもリビングドールとはな」
 店のいたるところからヒソヒソと話が聞こえてくる。変な格好の人が来た、剣を背負っていて怖い、店の中が冷えてきた……想定外の邂逅に戸惑うのはお互い様だ。
「ああ、いらっしゃい」
 奥を見ればカウンターの中から老婆が声をかけてきた。ちょっと驚いたような表情をしているが、どうやら店内の人形たちほどではないようだ。しかしその表情は嬉しそうに見えていた。
「店主まで人形かよ」
「おや、分かるのかい」
 見た目は人と変わらないのにね、と呟き微笑む老婆。人形とは思えないほど優しげで、逆に不気味ささえネーヴェには感じられる。それがあまりにも人間のようで――いや、人間と寸分も違わず。
「まあ、見ていっておくれ。ここに来たということは、きっと何かが見つかるはずだからね」
「んー……じゃあお言葉に甘えて」
 悪意も感じられず、結局ネーヴェは店内を見て回ることにした。何かあったら店ごと吹き飛ばせばいい――そんな物騒なことを考えつつ。


「わたしを買って! ううん、貰ってくれたら何でもしちゃう!」
「何かうるさそうだしパス」
 妙にフリルの付いた、それでいて貴族とは無縁そうな衣装の人形をスルーしつつ店内を見て回れば、どうにも驚くことばかりであった。平和だ。この店は平和そのものだ。そう結論付けていた。
ネーヴェはこれまで幾度となくリビングドールを見たことがあった――だが、それは最早呪いであった。彼にしてみれば当然のこと。自発的に出会うことはなく、上司に言われて向かった先で見るのみである。その内容は王宮の騎士たちでは対処できないような事例ばかり……即ち、敵対者の殲滅。
呪われた人形への対処、それは決して慈善事業などではない。混乱の種を粛々と摘み取るのみ。国の深部にたゆたう深淵。魔物を、そして時には人間を葬る。話が通じるならば多少なり和解の余地もあろう、しかし生憎彼の出会ってきた人形たちは人に怒り、憎み、災厄を運び……
だから破壊した。邪魔だ、そう一言だけ告げて。その怨嗟を一身に背負うつもりも無い。魂すらも凍てつかせ、破壊する。二度と人を呪えぬように。

 だから彼にとっては驚きの連続だった。動く人形は人にとって脅威でしかないと思っていたのだから。
「全部こんなだったらいいんだがな」
 最初は若干ビクビクしていた人形たちだったが、互いに敵意が無いと分かるや先程の一体のように普段通りの態度を見せていた。

「あの人、どこから来たんでしょうね」
 いつの間にやら、店主の老婆の横にはもう一人。いや、二人の店員が立っていた。それも同じ人形。ついこの前人形になったばかりの青年。或いは、動くようになったばかりの人形。
「コスプレイヤーっていう人なのかな……いやロレッタ、どこでその知識身につけたんだ」
 一体の人形が一人で会話する様は奇怪に見える。しかし、二人なのだから仕方ない。意思を持った人形が人を取り込んでしまう――最近よく見る事例だ。少なくとも、店主の老婆はそれを三件知っている。しかも二件はこの店の来客から起きた事例。その片方が彼女――ロレッタだ。
 何とも不思議な出来事……しかし、冷気を放っているように感じる謎のコスプレイヤー(仮)はそんな彼女らから見てもいまだかつてない衝撃的な来客だった。初め扉を開くのに悪戦苦闘していたところから既に変わっていた。
「この店って国外にも繋がるんですか?」
「いや、初めてだね。それも国外どころか……異世界とはねえ。長生きしてるけど、びっくりだよ」
 外で写真でも撮ってこようかねえ、などと言いながら、今までに無い来客を見つめる。この出会いは果たしてどのような意味を持つのか。それは彼女たちにも分からなかった。


「すまないね、期待に添えなくて」
「あー……いや、個人的には欲しいのがあったりしたけれども」
 ネーヴェは結局何も買いはしなかった。気に入る者はいた、話し相手によさそうな人形も、愛玩用に良さそうな人形も。
 だがそれを持つにふさわしい人物は他にいる、その結論に至った。理由は一つ。知るべきではない、そう思ったこと。彼の知るリビングドールとこの場の人形たちは、あまりにも違いすぎた。そのギャップは埋められてはいけないと思うほどに。店内の人形たちは寂しそうな目で見てくるが。
「そんな目をしなくても出会えるだろ。ここにいる以上は」
 それは直感に過ぎないが、確信があった。寂しい人形たちの未来へと。
「それじゃあ、お邪魔しました」
 多少の名残惜しさを感じつつも、横に扉を開く。さて、これからどうするか。彼はまだ目的を果たしていない――仲間への誕生日プレゼント。次は服を当たるか――そう考えつつ振り向くと、先程まであった店は消えていた。
「……」
 しばし無言で空白の区画を見つめ――そしてネーヴェは次の目的地へと歩いていった。まるで何事も無かったかのごとく。


「ここに来た人って」
 また人の来ない時間。ロレッタ――に取り込まれた青年だが――はぼんやりと考えていた。ここで働きはじめてからまだほとんど日は経っていないが、その間の来客は必ず何かを持ち帰っていた。彼(女)自身は老婆から聞いたり、店の奥からそれが見えていたりという程度だが。
「あの人は、どうしてここに来たのでしょうか」
「さあ、それは分からないけど」
 老婆はどこか遠くを見つめていた。不思議な来客のことか、それともその先のことなのか。ロレッタにも、そもそも老婆にもはっきりと見えるわけではない。
「でも、きっと意味があったのさ」
 彼女たちが知る動く人形と、来客者が少しだけ話したリビングドールの話。それは特にロレッタには衝撃であった――彼女はそのような人形を見たことは無いのだから。彼女にとって人形の知識はこの店から出るものではない。
「同時に」
 気に留めておかねばならないよ、そう老婆は言う。きっといずれは出会うのかもしれない。今はまだ幸せを繋ぐ、しかしいずれは誰かに破滅を呼ぶ可能性すらある。それを避けたければ。
「知らなきゃね、人も。人の形も」
 時間が経ち、来訪者が残した冷気が立ち消える。老婆は立ち上がると、壁に取り付けられた扇風機のスイッチを入れた。そうして店内を流れる空気は何事もなかったかのような、いつものものだった。

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