「私」のいた瞬間
(MELODYHOUSE 艦隊これくしょん 涙を流すとき合同誌 頬につたふ 初出)



 奴らを見る度に何かが渦巻くのを感じていた。憎いとか恨めしいとか、それらの更に奥に潜む見果てぬ自分。しかし戦地にいながら考える余裕は無く、ふと浮かびかけてはすぐに仕舞い込まれてしまうもの。
 敵と対峙、しばしの沈黙。空母の放つ艦載機が静寂を破ると、最後の結果は沈むか或いは残るかの二つのみ。
「シズメ、シズメェッ!!」
 隣に立つ戦艦の姫は叫び、そして砲撃を開始する。姫と言うにはいささか乱暴だ。以前肩を並べた同じく戦艦の姫は言葉を発することすらしなかったものだが、全く同じ姿をしながらこうも違うものだろうか。そこまで奴らが憎いか――私だって憎い。だが戦場で平静を欠けば結果は明らかでしかない。砲撃、反動、見落とし、爆発……すぐ傍で轟音。私の立つ海面が大きく揺れ動く。
「……ア、アア」
 先ほどまでの表情はどうした。敵艦の反撃、彼女の気付かないうちに放たれていた雷撃、隙を見逃すことのなかった敵艦載機。爆風の晴れるまでの僅か数十秒の間に憎悪と戦意が戦艦の姫の表情から消え、代わりに絶望が刻み込まれていた。少し前までは私達こそが人の望みを絶っていたというのに。戦艦の姫も今や脅威と見なされないのか、それとも恐れることを忘れてしまったのだろうか。
 姫がこの有様だとするなら、私はどうだろうか。そこらの有象無象に過ぎない私は。

 夜の闇に紛れ、私達は泊地へと戻っていた。幸いと言うべきか、私の放った砲撃は敵軽巡洋艦を捉え撤退へと追い込んだ。戦艦の姫が撃沈されることも回避できた、もし落とされていれば厄介なことになっていただろう。何しろ、この海域は奴らの領域と言って差し支えないくらいだ。つい先日には私達の場所だったのだが。私達の敵、艦娘達の進歩は著しいようで、深海棲艦――艦娘は私達をそう呼ぶらしい――は確実に追い込まれつつある。おかげで水鬼の建造を急いで推し進めることとなり、結果的に戦略的価値の低いとされる海域にはまともに資源が回ってこなくなった。そのような状況で姫に沈んでもらっては困る。もっとも、表情は既に沈み切ってしまっているのだが。
 何故だ、何故だと虚ろに呟く彼女を見ているとどうにも気にかかることがあった。勿論それは先ほどの艦娘のこと。中でも、私が痛手を負わせた軽巡洋艦。下がる際に見せたその表情が思い出される。僅かな時間で何もかもを撃ち崩された姫とは対照的に、随分としっかりとした目をしていたものだ。思わず震えてしまいそうになるほどの気迫。

 私達に今与えられている任務は無論、侵略である。しかしそれを果たす力がどこにあるだろうか。恨みを、憎しみを抱くも力があって初めて成し遂げられよう。世界規模で見た場合の勢いはあれ、今ここにいる私達にそんなものは残っていない。あるいはこれを奴らも分かっていたのだろう、戦艦の姫の叫びがただの強がりだということを。だから恐れること無く立ち向かってくるのだ。鬼だろうと姫だろうと、たとえ水鬼がいたとしても。気力の無い相手などもう敵ではないということ。ただでさえ十分な戦力を保有していた泊地が落とされたりしているくらいだ、これで勝負になるはずもない。
 初めこそ不気味で恐ろしい存在だったことだろう、だが奴らはもう知ってしまった。それがあまりにも感情的で、下手をすれば人間以上に脆いであろうことを。弱みを見せすぎたのだ。

 それにしても、だ。なぜ私は敗北の約束された……少なくとも自分ではそう思ってしまうような戦いに必死に反抗するのだろうか。忌々しく思えども、それだけで戦い続けられるものだろうか。


  *


 突き刺すような日差しの下で海を駆ける。光は私には眩しすぎる、海の底にたたずむ闇が恋しい。とはいえそんなことを言ってもいられない、再び前方に艦娘が現れる。さてどうなるかと思えば、意外にも幸運が回ってきた。睨み合うも束の間、味方の放った艦載機の攻撃が敵の戦艦を捉えたのだ。泊地に残存する数も少なくなってきた新型の艦載機だが、それを躊躇わずに投入したのは吉と出たらしい。
この機会を逃すものかと各艦が狙いを当の戦艦に定める。憎き敵への憎悪を晴らすときがきたのか。そう思い私も全ての主砲を向け追撃しようとするが、寸前にその動きは止めざるを得なくなった。当然ながら、空からの脅威に曝されるのは敵だけではない。空から迫る敵の爆撃機……通常であれば見逃すことなど有り得ないだろう。そうだ、絶対に起こり得ない。それに反して目先のチャンスに飛び付き砲撃準備に入ってしまっていた味方は次々と急降下爆撃に被弾してしまっていた。近頃の戦況を考えれば仕方ないが、あまりにも考え無しが過ぎるもの。思わず自嘲する――私も完全には回避できず、少量の爆弾であっても私を焼き払おうとする。とはいえこの程度で沈むには至らない。私を薄く覆っていた爆風が晴れた頃には一旦上空からの攻撃は止んでいた、すると先ほど被弾していた敵戦艦はこの場から離脱する姿勢を見せ、既に少しながら距離が取られていた。駆逐艦や軽巡洋艦がそれをかばうように砲を構えつつ徐々に後退していく。
何とも見事だと言うしかない、爆撃機の稼いだ僅かな時間で不測の事態に対処して見せるその連携力は私達の持ち合わせに無い。周囲の味方は辛うじて持ちこたえたという程度で、今度こそ放たれた砲撃は被弾による影響と焦りでその精度を欠き、夾叉はおろか見当違いの方角へと放たれるものすらある始末。私も砲撃を放とうと考えたものの、まだ傷の浅い私へと敵の砲撃が集中し始めていた。駆逐艦や軽巡洋艦の砲撃は余程当たり所が悪くなければ致命傷にはならない程度ではある、それでも万が一の事態を考えると思考を止めている場合ではない。気付けば敵駆逐艦の砲撃射程から外れるほどに離脱され、ようやく初めての砲撃を行ったそのときにはもう私の射程からも外れかけているほどとなっていた。
溜め息を吐くとこちらも泊地へと撤退し始める、その最中ふと味方の駆逐艦の数が減っている気がする。鬼や姫でなければどれも同じような見た目だ。改めて見ても誰が消えたのか私には分からないことだろう。私のことだって他の艦から見れば同じ級で区別は付かないことだろう。戦艦の姫だって単純に並べたらさっぱり見分けが付かない、喋らせれば多少違いはあるのだが。そう考えると艦娘は便利そうだ。似ていることはあっても同じということは無い。少なくとも私の見た限りでは。
そう考えたとき、ふと思い出してしまった。以前から奴らへと浮かびかけていた謎の感情。それが次第に大きくなるのを感じてこれ以上は考えないことにした。何か気付きたくないものに気付こうとしている、そんな予感がする。
しかし、仮に私が大破したら他の艦は守ってくれるだろうか。ふとそう考えて、笑ってしまう。いや、有り得ない。姫ですら時には放置されるくらいなのだから。


 *


 交戦を繰り返すうちに資源の枯渇は迫ってくる。最早艦体の修理もままならず、手負いのまま艦隊戦へと繰り出す者も現れ始めた。ただでさえ少なかった物資の補充も更に削られ、いつしか補給艦が訪れることすら無くなった。とうとう中枢から切り捨てられた私達に残されていたのは緩やかに死ぬか、もしくは戦って死ぬか。中には怒りに我を忘れ独断で出撃するものも現れた、それらは二度と戻ってくることは無い。そうでなくとも半数以上が戻ってこない。燃料や弾薬の補充もまた不十分だ、まともに戦えるか怪しい。そんな状況が続く中、少数による偵察を除けば出撃すら無くなり泊地の防衛に努めるのみとなった。
そして遂に奴らが泊地付近まで来た。それを迎え撃つため、私は同胞達と共に編成を組もうとした、そのとき。

「アナタ、ソコノアナタヨ」
 突然私が指を差して呼ばれた。しばらく私は気付かずに立ち続けていた、肩に手を置かれてようやくそのことを知ったのだ。一体何がと思えば、私を最終防衛線の艦隊に編成するのだという。
『戦艦一隻、重巡洋艦二隻、空母一隻、駆逐艦二隻』
 つい先日の編成を思い返した。そこで示されたのはこの程度の文面のみであったし、それ以外もこのような形態以外で見たことが無い。せいぜい姫が名指しされるくらいだが、戦艦の姫もこの泊地に二隻いたはずだ。最近は一隻しか見かけないが、どちらが沈んだのかは分からない。だからと言って区別などされていない。
 そんな中でなぜ私は呼ばれたのか。その理由は比較的損傷が少なかったからだという。やるからには最も可能性が高いであろう戦いをしたいのだろう。最後の防衛ラインには他にも損傷の少ない艦が各艦種から選ばれていたようだった。少し間を置き、敵の接近が通達される。いよいよ私達の終わりの始まりだ。だというのに、私は気があらぬ方向へ向いているのを感じた。
 到底足りるものではない。でも確実に、何か。分からない何かが僅かに満たされているのを感じていたのだ。

 爆音とともに弾ける。旗艦が、沈んだ。横目で見れば、かつては沈むことなど想像できなかったような最新鋭の「姫」が見たことの無い表情を浮かべながら海の底へと落ちていくその姿が鮮明に映ってしまった。周囲を見渡せばもう他に味方はいない。この負け戦の果てにどうやら私が最後の生き残りとなったらしい。眼前の敵は旗艦を落としたことで勢い付き、最後の一隻を落とさんと砲を構える。
最早一切の勝機は無い。だからこそ私は、最後の最後だけは素直な気持ちに従うことにした。冷静な判断を全て捨て、ありったけの怒りと憎しみを込めた一撃を見舞おうと。一隻だけでいい、道連れにしてやろうと。

 狙いを定める、そこで敵艦をはっきりと見る。戦艦二隻、空母一隻、重巡洋艦が三隻。誰を撃とうかと考え、ほんの一瞬だけとはいえ敵を観察する。三隻の重巡洋艦と思しき敵艦は似たような衣装だ、しかし髪も目つきも雰囲気も違う。二隻の戦艦も似ているが、これもやはりどこか違う。空母は艦載機を放ち、戦艦は大型の砲を扱うからすぐに分かる。だが重巡洋艦も何度か見ればおそらく見分けが付くことだろう。私達であれば何度見ても、あるいは自分と他人ですら区別が付かないというのに……

……不意に憎しみが。いや、その下にある何かが強まるように感じた。その瞬間、無意識に砲撃を放ってしまう。まだしっかりと狙いを定めていないにも関わらず。当然私が放った砲撃は結局当たることは無く、一方で敵戦艦の砲撃を避け切ることはできず、遂に私の身を焼いた。
だというのに。私の中に沈み込んでいた何かに腑が落ちて、痛みすらも感じられなくなっていた。

 もう足元もおぼつかず、仰向けに倒れ込む。大破、いやその状況も超えただろうと本能的に感じ取る。爆風の中で少しずつ海の中へと沈むのを待つのみだ。少しずつひんやりとした海に体が浸かっていく。ゆらり、ゆらりと。ゆっくり、ゆっくりと落ち始める。一方で勝者たる艦娘達は互いに勝利を喜びあいつつ、こちらへと向かってきた。泊地を調べるのか、資源を探すのか、他に何かあるのか。そんなことはもうどうでもいい。私は沈む。恨みつらみと共に芽生えていた感情も抱きかかえて。


  *


 奴らが私のすぐ傍を通るとき、無意識のうちに目で追っていた。一隻、二隻、三隻……すると、最後尾にいた重巡洋艦が立ち止まった。
「あの……」
 緩やかに沈んでいく私に声をかけた艦娘。変な奴もいるものだと思うが、なぜか表情が緩むのが自分でも感じられた。
「……ウラヤマシイ」
「えっ?」
 驚く彼女と、それに私。声を出した気はしていなかったのに、自然と零れてしまったようだ。その言葉と共に私の全てが流れ出ていくような、そんな錯覚に陥ってしまう。私の憎悪も何もかも、それだけだったのかもしれない。だけど悪い気分ではなかった。そんな気持ちと一緒に、何かもう一言くらい言ってみたくなってしまう。この期に及んで一つだけ思い浮かんだ願いを。
「ワタシ、を……わす……」
言い切る前に顔も水面下へと潜り始め、言葉を最期まで言い切ることはできなかった。それでも少しだけ顔を上げようとして、それも叶わない。目の下に何か冷たいものが流れるのを感じる。この痕もまた海の中ですぐに消えてしまうことだろう。顔の全てが、全身が海面の下に潜り込む。意識が、目から流れる何かが海に溶けて消えていく。ぼんやりと艦娘を映していた視界も次第に閉じて、海の底に似た闇を見せるようになる。海の表層から、底の見えない彼方へ、ゆらりゆらり。不思議と全てが満たされたような気持ちで、私は海のゆりかごに揺れて連れられていった。

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