目の前の女性は鋭い眼差しでクルクスを正面に捉えている。本当に見ている物が何であれ、クルクスには一つだけはっきり分かる事があった。
 意志の強さ。目的を邪魔するのであれば容赦しないと言わんばかりの気迫。常人であればそれに圧されてしまうであろう、絶対なる基盤の上にある強い感情。
 歳を見れば然程変わらないようにも見えたが、しかしその目と状況からでは彼女を少女と呼ぶには苦しい。

 ただ、クルクスはそれに気圧される事無く事実を伝えるのみ。
「ロアなら、今は出掛けています。要件があれば伝えますよ」
「それじゃあ遅いのよ! 何処にいるの!?」
 余程切羽詰っているのか、女性は不機嫌さを隠そうともしない。
「落ち着いてください、いきなりそう聞かれても……」
「落ち着いてなんかいられないわ、こうしている間にも何が起きているのか分からないのよ!」
 話が通じていない。必死である事は分かる、とはいえ理由も何も言う事無く捲し立てられてはどうしようもない。簡単に行先を言うのもそれもまた問題が起きるであろう事は明白だった。一体何をするか分からないのだから。
「早く教えなさい! 人の命が」
「人の命?」

「おいバカか! 何やってんだ!」
 その時、突如助けが現れた。急いで走ってきたであろう若い男は、女性を無理矢理押し退けると頭を下げてきた。
「わり、こいつがいきなり迷惑かけちまったな」
「迷惑とか言ってられないでしょう! 早く――」
「ああもう、闘牛か何かかよお前は」
 男は女性に向き直ると、頭をペシペシと叩き始めた。動作は緩やかな物だが、クルクスがそっと横顔を除くとやはり真剣そのものだった。そして、有無を言わせる事も無い。
「このままじゃ罪も無い人が犠牲になります、それを救う手を尽くそうとするのは立派なんだがなあ」
 女性は黙る。男もまたその言葉を切った。男は叩くのをやめてその手を置くと、ふっと息を吐く。目を細め、口元を緩めるとしばらく二人は動かないでいた。クルクスもただ声を出さずそれを見つめる。しばらくはそのまま時が流れ、焦りという雰囲気はその場から離れていく。その頃に男は再び口を開いた。
「ま、相手にゃ相手の都合があるんだからな」
 再度向き直ると、男は改めて頭を下げた。すると、女性もそっと頭を下げる。落ち着いたであろう女性に対しクルクスは再び訪ねる――何があったのか。人の命が、どうなるというのか。
 ごめんなさい、と一言入れてから。女性は、それを話し始めようとした。その時、後ろからもう一人、別の女性――こちらは少女と言っても差し支えないであろう――が現れた。

 少女の目の下の何かの跡がクルクスの目に付いた。再び目の前の女性に視線を戻しても、その表情が焼き付いたかのようにクルクスには感じられていた。



  *



 何かに巻き込まれるであろう予兆を、しかしアテルとロアの二人はまだ知る由も無い。ただ二人は、未知の暗闇を進んでいくのみであった。棺の底より通じる先はあまりにも暗く、松明に火を点けてもその足元すらおぼつかない。幾度となく些細な段差にすら翻弄され、増してや突然の落とし穴はあっさりと命を飲み込まんとした。それでも二人はただ前へ歩んでいく。未知がアテルを突き動かす。ロアはただ、目的の物を狙うのみ。怯える理由など無かった。
 二つの足音が響き渡る。それが不意に暗闇に呑まれ、ロアは松明を高く掲げた。見ろ、と指差す先、松明の火の光を反射する何かがあった。自ら動く事無く、それでいて存在感を示すそれに少しずつ近寄ると、少しずつ全貌を表していく。装飾の施された台座に突き刺さった剣は、この暗闇の中にずっと佇んでいたのだ。
「言っただろう。ある、と」
 ほら見た事か、と言わんばかりに得意げな顔をしてみせるロアに、ただ彼の相棒は苦笑するしか無かった。ロアは改めて剣を見ると、慎重に近づいていく。そして、そっと手を掛ける――何かが起こる気配は感じられない。ならばと力を込めてその剣を台座から引き抜こうとする。次に、ロアは力を強め引き抜こうとする。とどめと、台座に両足を掛け精一杯の力を込めて引き抜こうとする。アテルはただそれをじっと見ていた。そんな傍観者に声が飛ぶ。
「アテル、手を貸せ」
「あー、うん」
 アテルも剣に手を掛け、二人でありったけの力を込めて剣を引き抜こうとする。しかし、やはりそれが動く事は無く、共に行く事を拒否している。やはり、財宝を手に入れると言う事は簡単には進まないのだろう。
 ロアは唸る。ただ剣が台座から抜けない、ただこれだけにして驚異的な守り。財宝に守護者がいるなら倒せばいい、死の罠が仕掛けられていると言うのなら避ければいい。だが、当の宝が動かせないのでは手が出ない。「倒せない守護者」「避けられない罠」そして「手に入れられない宝」はひたすらに脅威である。

 ロアが剣を目の前に悩んでいる中、アテルは松明を前に突き出しつつ周囲に目を向ける。すると、周囲の壁に文字が掘られている事に気付いた。古代の文字を前にする、彼にとってはその内容の方が剣以上に重要であり、無心に読み始める。
『闇の風は世界を飲み込み、光の雨は大地を貫いた。神器を持ってしても闇は晴れず、光が止む事は無い』
 アテルはじっくりと声に出し、目の前の巨大な文献を読み進める。ロアも一旦剣について考えるのをやめてそれを眺め始めた。或いはそういった所にヒントがあるかもしれない、そう考えての事。
 周囲にびっしりと書かれた文字が過去の光景を思い起こさせる。アテルはしばし文字を読み進めた後に目を閉じた。彼はただ想う。その事実を。


 混ざり合うものを許さず、闇を消し去ってゆく光。そして、何もかもを己が内へと収めんとする、光を浸食する闇。轟音、そして歓喜と怒号が響き渡る中で、凪の一族はただ争いの渦から逃れるべく、遺跡の中に身を隠していた。平穏を愛する彼らは、魔術によって生み出された嵐によりその身を守り続けた。光にも、闇にも手を貸さず、その一族の名のままに。そしていずれ終わると信じ、ただ待ち続けた――凪を。
 しかしその願いは崩れ去る。侵略を掲げる闇の勢力は遂に嵐の壁を破り、凪の遺跡へとその手を伸ばした。一族の多くの者がその血を散らし、闇から逃げ光へとたどり着いた者は数少なかった。しかしその者達は結局逃れる事は出来なかった――光は言い放った。光の名の下に……闇を討て、と。


『我々はただ凪であり続けたかった』
 読み、想いを繰り返し、遂に最後の分まで至る。アテルが振り向くと、それを聞いていたロアが口を開く。
「俺からすれば平穏は退屈に思えるがな」
 そう言いつつも、凪の一族を馬鹿にしたような態度は見えない。一つの意見の違いに過ぎないし、そもそも置かれた状況が違いすぎる。彼自身も分かっている事だろう、そんな事が言えるのは今であるからだと。
 歴史を紐解けば、それは誰もが知る事が出来る。過去の戦乱、そして今の平穏を感じる事が出来る。
「光と闇の時代なんて、俺には想像も付かん。無関係の物語にしか感じられない」
 そう言うと、ロアはまた剣の方を向いた。ヒントも何も無かった剣の入手方法の模索を続けなければならないのだ。アテルもとりあえずそれを考えてみる事にした。が、その剣を持ち出そうとする事もあの文章を読んだ後では何となく憚られる。
「ロア、これ持ってく?」
「目的の物を目の前にして、手に入れないという選択肢は無いだろう……ん? ああ、そうか」
 そこで、ロアは思いついたかのように笑い出す。突然の事に、アテルはぽかんとするも、すぐにムッとする。何がおかしいんだ、そう問えば返ってきたのは一言――お前のそういう所は嫌いでは無いと。そして懐から白い、柔らかそうな紙を渡された。



  *



 二日後の朝。凪の遺跡のある森にある小さな村――アテルとロアはそこで宿を取っていた。ロアは本を読んでいた、それは伝説の剣の情報の元となった本。ここに何か書いてないかと目を凝らすも、やはり彼の求める情報の欠片もありはしない。段々、彼の中でもそれが無駄な悪足掻きである気がしてきた。場所を暴いたまではよかったのだが、やはり伝説は簡単には微笑まないのだろう。即興で謎の儀式を思いついて試しても見たのだが、効果は無かった。まあ、抜けたまえー、抜けたまえー、と繰り返して本当に抜けるのであればここまで悩みもしないのだが。
「あの剣もまた、凪を望んでいるってか」
 溜息を吐くと本を閉じる。後ろ髪を引かれる思いはあるが、これは諦めなければならないだろう。一度それをつけてしまえば、立ち上がるのは早かった。次はどこを調べようか、と。
 諦めのつけ様があるのはアテルの事も大きかったようで、アテルはどうもあの剣を外に持ち出すのに後ろめたさを感じるらしく、変な溝を作るよりはその方がまとまりそうだというのもあった。
「やれやれ、伝説の剣……持ちたいものだがな」
 不意に欠伸が聞こえる。ロアが振り向くとアテルが起きていた。
「お前、トレジャーハンター向きじゃないなあ」
「ふあ……え、いきなり何」
 突然悩みの種になりそうな言葉を言われたアテルは戸惑うばかりとなる。それを見たロアはまた笑う。

「うん、アテルは向いてないよね」
「クルクスもそう思うか。さすがにこいつの事はよく知って」
 今度はロアも戸惑う事となった。あまりにも自然に部屋に入ってきたその少女は、見慣れた翼も輪も見えないが確かにもう一人の仲間であった。ブルーヘイムで待っているはずだったのだが、少し長引かせすぎただろうか。だがその程度で彼女が怒るとは二人には考えられなかった。これまで最長一ヶ月ほど空けた事もあった。いや、その時は少し泣いていたかもしれない。だが、まだ二人がブルーヘイムを経ってから五日しか経っていなかった。

 クルクスは二人に来客を告げる――アテルとロアは顔を見合わせる。トレジャーハンターにどのような用事の客が来るのだろうか、その想像が付かない。そうして少し考え込んでいると、部屋の扉がノックされた。
「いいよ」
 二人に確認する事もなくクルクスは扉を開けた。そこに立っていたのは、革鎧に身を包んだ男と、神官のような――本業だろうか――格好をした女性が二人立っていた。
「ども」
 男が手を上げて軽々しく挨拶をすると、アテルもとりあえずと軽い会釈を返す。ロアはただよく分からないという表情を見せるだけで、何らかの行動を起こすような事はしない。そうしていると、何となく気まずい沈黙が流れ始める。挨拶を交わした二人は徐々に悪くなる居心地に耐えきれなくなり、そわそわし始める――ロアはそれでも動かない。二人の女性の内、つい先日注意された方が口を開きかけるが、途端もう一人の女性、まだかなり若い少女が口を開く。
「突然の訪問、ごめんなさい。わたし達はエクレシアから来た者です」
 アテルとロアの目が少女を向く。同行者の男もまた彼女を見た。少女はしっかりとアテルとロアを見据え、双方と目を合わせると、再び口を開く。
「貴方達は、「希望の書」についてご存じありませんか?」


 少女はその口で、ロアの問いかける質問に答え続けた。何故自分達を訪ねたのか、誰から聞いたのか、そして……「希望の書」とは何か。事実上の答え、何も知らないと言う意を込められたその質問を投げかけると、少女は俯いた。彼女が語るには、災厄を防ぐ術を記した書物だと言う。つまり、魔術書の一冊なのであろうそれは、しかしその対象物の強大さだけから見ても、さぞかしとんでもない代物なのだろうと想像付けられた。
「何の災厄に悩まされているんだ? 嵐とかか」
「考え得る物、全部……」
 俯いたまま、少女は呟いた。彼女のその具合は、余程重い事態が起きているのであろう事が窺えた。アテルもまた俯き目を閉じる。彼女の言葉が一つずつ紡がれる度に、始めにしっかりと出された声だけでも、どれだけ無理をして出した物なのかが分からなくなる。そして、見ていられなかった。
 言葉が続かなくなり、少女もまた目を閉じてしまった。何かが落ちた音と共に。
「それを聞くためだけに訪ねてきたのか? 随分と遠い所から」
 アテルは地理には疎く、彼女達が来たと言うエクレシアとはどこなのかは分からなかった。ただ、ロアは深く溜息吐いたのだが、つまり彼の言う通りという事だろう。
「あの……」
「はっきりと言ってみろ」

 少女は袖で目元を拭うと、再びしっかりとした紅い瞳を見せ、大きく口を開けた。オーバーなほどに。
「貴方達の力を貸してください!」
 アテルも顔を上げた。その表情は本当に無理をしている物なのか、それすらも分からない。ただ、本気を見て取れるような、そんな表情。アテルはロアの方を向く。突然の出来事ではある、しかし何故だかアテルには放っておけなかった。目で訴え、促す。そしてロアが口を開く――
「あまり面倒事に関わりたくないんだがな」
 頭を掻きながら、いかにも厄介な事だと言いたげな雰囲気を隠そうとしない。後ろの女性がまた口を開きかけるが、隣に立つ男がサッとその手を女性の口に当てていた。
「一つだけ条件があるんだが、出来るか?」
 しかし、ロアは一つの妥協点を提示した。彼は立ち上がると外に出るように促す。アテルとクルクスも共に。


 その行先は、凪の遺跡、その奥……そう、あの剣の鎮座する場所だった。ロアはただ一言告げる、この剣を抜けたのならば協力すると。
「おいおい……こりゃ絶対抜けねえパターンだぜ」
 革鎧の男はほとんど諦めの表情でその手を剣に掛け、力を込める。しかし、その剣が抜ける気配は無い。悔しそうな素振りすら見せずに彼は下がるしかなく、じとーっとした目付きでロアを見る。ロアはそれを意に介そうともしない。
「ロア……ちょっと、さ」
「いきなりこんな事を持ちこまれて、はいそうですか、って答えるほどお人よしじゃあない。お前と違ってな」
 その目の前で、残る二人も剣を引き抜こうとする。二人の内年上であろう女性は抜けないと分かると目に見えて苛々しているようであった。その傍に立つ男がいなければ、暴れ出したかもしれないくらいに。しかし、アテルから見ればもう一人の少女と同じであるようにも思えた。そして当の少女もまたその剣を引き抜けずにいる……しかし、その手を離そうとはしない。一度抜けなければもう一度、もう一度、そしてまた、何度も何度も繰り返し、それでもその手を離さず更に挑戦を重ねていく。
「ロア……どうしても?」
 もう一度聞いてみると、ロアがじっと少女を見ている事に気付いた。その表情に特に変わりは無いように見える、しかし相棒でもある彼は驚いているようにアテルには感じられた。
「俺はあの剣が欲しい」
 不意にロアが言った言葉の意図はさすがに掴めない、それを気に留める事も無くロアは続ける。
「そんな俺より必死になるとはな」

 その間にも彼女はただひたすら力を込める。既に手は赤く、無理をしているのは明らかだった。不可能である事はもう分かったはずなのに、それでも止めようとはしない。見かねて一人は声を上げる。
「ルディス! もうやめとけ……こりゃ無理そうだぜ」
 少女……ルディスはその言葉に対して横に首を振ると、再び力を込める。その時、クルクスが彼女に声を掛けた。
「ルディス、さん? わたしにも、やらせてください」
 そう言うとクルクスはルディスの手をそっと剣から離させ、今度は自分が剣を握りしめる。目を閉じて大きく息を吸い込み、吐いて、再び目を開ける。

「やあああーッ!!」
 大きな声を上げるとを、クルクスは持てる力を振り絞りその剣を――引き抜いた!

「なっ……何だと?」
 周囲が目を見張る中、ロアはただただ信じられないという気持ちが顔に現れていた。それは剣が引き抜かれた事か、クルクスが引き抜いた事か、それともこれで引き返せなくなった事に対してだろうか。クルクスは引き抜いた剣を数回振って見せると、ルディスに笑顔を見せた。ルディスは何も言わないまま口を開いていたが、ハッとするとクルクスに駆け寄った。残りの二人はロアに目を向ける。アテルもまたロアを見ると、声を掛けた。
「クルクスが抜いたけど」
 ロアはここに来て何度目かの溜息を吐く事となった。そして、観念した。
「クルクス。お前、協力する気だな」
「うん。こんなに必死なのに、見過ごせないよ」
 それを聞くと、ロアはルディス達に向き直った。アテルとクルクスはそれを見て互いに笑顔を見せる。
「無理を通された以上は、無理をしてでも付き合おう。違えはしない」
 ルディスもまた笑顔を見せた。後ろの二人は顔を見合わせるだけで、この状況に付いていけていないようだったが。
「ありがとう……クルクス、ロア! それと――」
 ルディスがアテルの方を見る。先程までは悲壮だったその表情が、今は光り輝いているかのようだった。アテルはそれを見ると何も言えなくなってしまう――咄嗟にロアがフォローする。
「こいつはアテルだ」
 
 もう一度、ルディスが口を開く。
「ありがとう、アテル!」
 アテルは思わず目を逸らした。どうすればいいか分からなかったのだ。
「い、いや、何もしてないから」
 それでも、ちらりと見たその表情が、変わる事は無かった。

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