「旅立ちの日」



今日は彼の旅立ちの日。笑顔で、送り出してあげなきゃ。泣いてなんかいられない。わたしも強く生きていかないと。どうか貴方に、良き出会いがありますように。そうずっと願っている。そうすることで、わたし自身の気持ちを抑えようと思っていた。でもそんなことはできなかった。涙が、止まらない。



 今日は彼の旅立ちの日。笑顔で送り出そう。そう決めていたけれど、やっぱり泣いちゃった。割り切れない。離れ離れになることが。わたしは弱くて、寂しがり屋なんだと思う。明日から彼に会えないことが、受け入れられない。いったいどれくらい引きずり続けるのだろう。外を見ると、どしゃぶりの雨だった。酷いよ、こんなの。



 今日は彼の旅立ちの日。その時まで、まだ時間がある。だから、せめて少しだけでも気持ちを落ち着けよう。深呼吸を一回、二回。それでも気分が晴れず、本棚から適当に一冊の本を取り出した。運の悪いことに、それは思い出のアルバムだった。わたしは、また泣いた。



 今日は彼の旅立ちの日。朝食も喉が通らない。こんなことは何度もあったけれど、それでも食べなきゃ。今までの日々を思い返す。やっぱり涙が溢れてくる。それでも、ハンカチで拭って、パンに手を付けた。ああ、しょっぱいなあ。



 今日は彼の旅立ちの日。いまだに窓を雨が打ちつける。それはわたしの気分。それじゃ駄目だって思い、何度も何度も願う。今日という日をこんな悲哀にしないで、と。神様はわたしのことを見ていてくれたのかな。気付けば、雨脚は弱まっていた。止めどなく流れていた涙も、少しだけ治まっていた。



 今日は彼の旅立ちの日。朝から降り続けていた雨がようやく止み、みんなが外に出てきた。もちろん、彼も。この先の旅路に夢を馳せるように、目を閉じて空を仰ぐ。わたしの目元は涙の跡がはっきり見えるほどだったけれど、今は何とか抑え込んで彼に微笑みかけた。それくらいしか、わたしにできることはないから。



 今日は彼の旅立ちの日。みんなが彼に声を掛ける。激励の言葉もあれば、もっと一緒に居たかったという人もいた。わたしは、何も言えなかった。違う言葉を言いたくて、でも思い付かなくて。それでも彼はわたしに変わらない表情を見せてくれる。それがわたしの救い。



 今日は彼の旅立ちの日。彼の姿が、少しずつ見えなくなっていく。何人かはもう少し先まで付き添いに行くみたいだけど、わたしはここに残った。もう一度願う。どうかこれからの未来に、良き出会いがありますように。そして、願わくば。



 今日は彼の旅立ちの日。遠くで煙が昇っている。あれが彼だろうか。さよなら、わたしのともだち。わたしを理解してくれた、大切な人。今日は笑顔で送り出せる。だって、あなたが望んでくれたから。






 長く、長く生きてきた。ずっと、ずっと見続けた。わたしと出会い、そしてわたしを支えてくれたひとたち。永久の命を悔やむわたしを、叫び、悶え、自らを傷つける日々を送っていたわたしを助けてくれたひとたち。そんな大切なあなたたちとの別れを繰り返すうちに……いつの間にか、泣けなくなっていた。ああ、とうとうわたしは心すら失ってしまったのかな。そうあなたに話したとき、あなたはわたしを抱きしめてくれた。

 精一杯理解してくれる人がいた。ぶっきらぼうに気づかってくれる人がいた。色んな場所に連れ出してくれる人がいた。わたしをいつでも笑わせてくれる人がいた。ただずっと手を握ってくれる人がいた。おいしい料理を食べさせてくれる人がいた。一緒に旅立つ方法を考えてくれる人がいた。ずっとわたしの話を聞いてくれる人がいた。そして、わたしをただ抱きしめてくれる人がいた。
 最後の日、そんなあなたたちに同じ言葉はかけられなかった。同じ顔は見せられなかった。でも、みんなわたしの大切なひとたちです。だから、わたしは今日も願います。先に行ったあなたが、またこの空の下で幸せになってくれていることを。今行ったあなたが、しばらくはこの空の上でゆっくりと休めることを。そしてみんなが、次の命でわたしより素敵な人に出会えることを。
 もう泣けないわたしだけど、いつまでも、願えます。……おかしいかな。でも、願わせて。


ああ、また明日からわたしは傷だらけの日々に戻っちゃうのかな。そんなことを、この日が来る度に何度も何度も考え続けてきた。でも、馬鹿馬鹿しい考え事だ。もう、そんなことはない。あなたたちが望んでくれた、認めてくれた、愛してくれたわたしをもう傷つけはしない。
ようやく、覚悟ができました。長かったかな。ごめんなさい。みんなのおかげです。わたしは強く生きます。例えもう、二度とわたしを愛してくれる人に出会うことができなくても。きっと、大丈夫です。多分、生きていけます。

 この空の上に、この空の下に、あなたたちがいるから。わたしは、この空を見上げて生きていきます。
 ありがとう。

――わたしを愛してくれた大切なあなたたちへ。

inserted by FC2 system