「そしていつか、あの海へ」
(MELODY HOUSE 艦隊これくしょん 艦娘化合同 なんで、わたしが艦娘に?! 初出)



 空と海は彼方まで青く青く広がり、わたしたちを受け入れていた。優しい風が、ドレスの裾を揺らす。
 いつ以来だろう、このドレスを着るのは。それも、外で着ることなんて一度も考えたことがなかった。
「それにしても、艦娘って、こんな感じなんだ」
(わたしだけよ、それは)
 わたしの口から出る、わたしの声。だけどわたしの意思じゃない、たった一人の乗客の感想。それを聞いてつい得意気に返事をしてしまう――最初の予定でも豪華客船という話なのに、今に至ってはただ一人のためだけ、あなたのためだけの客船なのだから。出港前は不安だった。気に入ってくれなかったらどうしよう、退屈させたらどうしようって。でもこの暖かさで心配も消えた。彼も喜んでくれている、それがわたしには嬉しかった。そして同時に知った、これが本当の。
「まだ時間はあるし、あの島、行ってみる?」
 視界の前方に見えた島。誰もいない無人島、今辿り着ける一番遠い場所。彼もわたしの中で頷き、わたしを動かしていく。
 自分の体が他人の思うままに動かされる――人に操縦される感覚は、どうしても以前の戦争を思い出してしまいそうだった。だけど不思議とそう感じることはなく、ただただ心地よかった。ふと自分の手を見る。右手の薬指に填められた二つの指輪が太陽の光を跳ね返して、ちょっとだけ目がくらみ……そして嬉しくなる。この指輪が似合う自分になれた気がする。それは姿の話じゃない。確かに今の格好のほうが指輪は映えそうだけど、もっと大事なこと。彼の気持ちに応えられる、ただそれだけ。


   *


 眠るときはいつも夢を見ていた。それは深い悲しみの記憶。遠い昔に消えた希望、つい昨日のように思い出す。夢を語る人、夢を繋ぐわたし、その先にある景色。ずっとずっと待ち望んでいた。言葉を発することはできない、気持ちを伝えることもできない、でもそんなことはどうでもよかった。もう少しで、願いが叶う。わたしの生まれた意味が。その瞬間が。そう信じて疑わなかった。
 なのに、気付けば道を違えていた。その海は、望んだものじゃない。こんなはずじゃなかった。怒りの、そして嘆きの叫び。撃墜される艦載機、轟く砲撃音。ここは地獄、この夢の終わり。
 もう欠片ほども残っていない夢に縋り付き、生きようとした。沈まないように、この先へと漕ぎ出せるように。だけどそれは許されずに。
 最後に見たのは離れていく乗客……違う、搭乗員たちの姿。わたしがこの海まで連れてきて、そして送り返せなかった人たち。望んでか望まずか、わたしと一緒に戦った人たち。もしかしたらあの航路の先へと運んでいたかもしれない、そんな人たち。どうしてこうなってしまったのだろう。理不尽な現実の末にわたしは沈み、そこでいつも目を覚ましていた。体が震え、呼吸は乱れ。確実に精神が削られていくのを感じながらも、どうしていいか分からなかった。まだ夜の明けていないとき、もう一度眠ろうと思ったこともある。ただ、この夢には続きがあった。

 夢の喪失は、もう一度経験している。

 わたしが艦娘として建造されたその当初、まだ深海棲艦は発見されていなかった。艦娘は深海棲艦への対抗策として造られた、そう認識されていることが多いけれど、実は一部の機関においてはそれ以前から研究されていた。目的は分からないけれど、今の提督は「国防のためだろう」と言い切っている。戦争が起きていなかったその当時も決して油断はしきれない状態で、その頃の研究者からすれば後の深海棲艦相手に効果があったのは副産物に過ぎないとのこと。とはいえ、わたしは建前上客船として扱われていた。人型である艦娘がどれだけ人を運ぶ力を発揮できるのかを確かめるための被験体として造られたらしい。今思えば、有事に軍艦へと改装できることもあったのだろうけれど。そうでなければ他の艦でもよかったはずだから。
 それでもあのときは嬉しかった。今度こそ貨客船として働けるかもしれないのだからって。ある種非道な実験、それを覆い隠すほどだった。その二度目の夢が潰えたとき、わたしはどんな表情をしていたのだろう。もしかしたら、鏡を見たらすぐにでも分かったかもしれない。何も事態は好転していないのだから。もう一度眠ると、そのことを夢に見てしまうかもしれない。あるいは戦時下の夢を繰り返し見るかもしれない。そう思うと嫌で嫌で仕方なく、朝までただ待ち続けた。そしてまた夜が来る度に憂鬱な気分を繰り返す。壊れてしまいそうだった。

 そんなわたしを支えてくれていたのが他でもない提督だった。この指輪をくれた人、今のわたしができてからずっと一番近くにいてくれた人。初めは実験担当の研究者として、そして今は提督として。
 いつも調子を気遣ってくれて、優しくしてくれて。そして、辛いことを可能な限り思い出させずにいてくれる人。軍艦としての飛鷹は見たことが無くても、艦娘としてのわたしの全てを知ってくれる人。
『こうなったからには責任は取る』
 夢を絶たれて崩れ落ちたそのときに声を掛け、鎮守府に配属されたと思ったら目の前に現れた。わたしのためにそこまでしてくれたのを見て……泣き言はやめようと努めた。可能な限り迷惑はかけないように。夢のことも話さず、わたしが今に馴染んでいるように見せようとした。
 思えば、そうする必要はなかったんだと思う。意地を張ろうとしていたのかもしれない。


   *


「ちょっと時間良いか?」
「なーに、提督? 艦載機の整備手伝ってくれるの?」
 後で手伝うから、と言う提督について執務室に向かう。顔色を伺ってみると何か怒っているわけでもなさそうで、ただ若干居心地が悪そうに手でしきりに顔に触れたり、軍帽を取って髪を抑えたりしていた。普段はそういうこともなく堂々と……というわけではないものの、そう緊張していることもなかったから、若干不自然に見えていた。そうして執務室に着くと彼は深呼吸をしてから椅子に腰を下ろした。木製の机を挟み、顔を合わせて更にもう一度大きく呼吸をしてから……話が始まった。
「まずは先日の作戦についてだが」
「はい」
「よくやってくれた。改めて言わせてほしい、お前のおかげだ」
 変わらず妙な緊張をしているようで、浮かべた笑顔がかなりぎこちなかった。だけどお世辞とかそういったものは感じられず、純粋に褒めてくれているみたいだった。そこからはしばらく作戦そのものの感想だったり、他の艦への感謝だったりとりとめのない話が差し込まれたりしていた、のだけれど。
「さて、と。それでだ、飛鷹」
「……はい」
 意を決したように表情を引き締めた彼を、こっちも真剣な面持ちで迎え撃つ。何を言おうとしているのかは分からないけれど、ただ大事なことだとだけ直感が告げている。告げてはいたけれど……想像することもできなかった。
「これを受け取って欲しいんだ」
 取り出された指輪に、わたしの理解は追いつけなかった。
「は、はい」
 うまく声が出ない。今、何と言ったかが分からない。わたしは、何を思っているの。何を。何を?
「迷惑に思うかもしれないけど……それでも渡したかった。大切な艦娘に、なんて言われたらさ」

 その先を覚えていない。わたしは気付けば部屋を出ていた。礼を言っただろうか。何か言っただろうか。ただ、手を見てみれば指輪が填まっていた。少なくとも拒む気はなかった、だけど。
「わたし……何やってるんだろ」
 そんなの、誰に聞いても分かるはずがない。

 何度指輪を眺めても現実味が無かった。嬉しい、それは確かだけれど心から喜べなかった。どうしてか分からない。分からないままにまた日を重ねて。彼と顔を合わせても、申し訳無さで目線を逸してしまいがちだった。それでも提督はわたしに失望したりすることはなく見ていてくれて――殊更に情けなくなっていった。どうして受け入れられないのか、考えても考えても分からない。あの日わたしが執務室を出るまでのことを聞くことなんてできるはずもない。全てに身が入らない。交戦中に被弾することも増えた気がする。
 そんなときだった。突然どこかからわたしを呼ぶ声が聞こえて振り向けば。

「おーい!」
「飛鷹さーん!」
 そこにいたのは明石と夕張――この鎮守府にいるなら……いや、どの鎮守府でも有名な組み合わせ。日夜新しい装備を開発したり、更なる改装を提案したりと妖精にも負けない確かな技術者たち。工作艦の明石はもちろん、軽巡洋艦である夕張は出撃などもこなしていながら開発担当も請け負っているというのだから、提督も頭が上がらない。そんな二人が呼んでいるということは、何か新しい装備ができたというのとほぼ同じ。気晴らしにもちょうどいいかと近づいてみれば。
「飛鷹さんに新しい改装計画があるんだけど」

 それはあまりにも信じ難い話だった。改装があるということも……そして、その内容自体も。
「これ、なんだけど」
 ありえない。こんなことが。あるはずがない。その設計図には見覚えがあった、いや、あるなんてものじゃない。わたしはこれを何度も見て、そして何度も思い出していた。もう見るはずのないもの、夢でしかないはずの。
「こ、これ……これって、誰が」
「あそこの奥にしまってあったのを妖精さんが見つけてきたのよ」
 夕張が指差した先にあったのは、執務室に置かれたものと同じタイプの机だった。そういえば、と思い出す。鎮守府着任時、提督は同じく研究所時代からの知り合いだった妖精たちも引き抜いてきていた。人間の友人はあんまりいないと言っていたものの、妖精には好意的に見られていたらしく。そして時折工廠でその妖精と何かの図面を引いているのを見たことがある。何をやっていたのか尋ねると、新型装備の設計と言っていたけれど。それにしては微かに見えたその図面は何か違うもののように見えた。もしかして、そのときに書いていたの?
「なぜか上層部から改装許可も出ているみたいなんですけど……どうしてしまってあったんでしょうね? 丁寧に使う資材まで箱にまとめて置いてあったのに」
 足元の箱を開いてみると大量の鋼材が用意されていた。箱は埃を被っていて、だいぶ前から放置されているのが分かる。中身は綺麗なままで実用に支障は無さそうだ。
 顔をあげると、視界に何かが入った。工廠の柱の影に、誰かがいる。それは妖精、見覚えのある妖精。提督と一緒に来た妖精の一人。発見したのは偶然じゃない、そう彼女の目が雄弁に語っている。視線に気付いたのか、妖精は柱の裏に隠れてしまった。

「あぁ」
「飛鷹さん?」
 気の抜けた声が出てしまったけれど、それを取り繕う気もしない。どうして設計図が隠してあったのか、うっすらと分かってしまう。わたしが、随分と意地を張ったから。夢のことも、苦しさも明かさなかったから。
「これ、許可が出てるのなら今からできない?」
「半日もあれば十分ですけど……提督に話を通したりは」
「ううん、今すぐがいい」
 本来ならいいはずがない。提督に黙って改装を行うなんて。だけど、だけど。これを目の前にして。冷静さを欠いていることは自分でも分かっていた。それでも無駄にしたくなかった。その気持ちを。

 改装が終わったのは翌日の夜だった。本来、改装は艤装や衣服についての改造が多い……のだけれど、この改装は話が違った。わたしの体そのものを改造する。貨客船としての改装。自立して動く艦娘としてはあまりにも特殊な、人が乗り込むための改装。明石、夕張の両名ともに、作業中は信じられないという表情だった。同時に興味深そうにメモをとっていたものの。半日とは言っていたけれど、内容が内容で戸惑うところもあったからか、結局丸一日近くかかってしまった。幸い、体調不良で入渠中と他の艦が手配してくれたから提督に気付かれることはなかった。入渠ドックは性質上、男性である提督は立入禁止になっている。
「貴重な経験ができたわ。それにしても、体大丈夫?」
「ええ。とっても身軽よ」
「まあ身軽ですよね。中身空っぽ……とまではいかないですけど、軽量化しすぎというか何というか」
 元の衣服を身に着けるものの、何だか合わない気がする。サイズは変わらないのに。そう思ったけれど、ああ、と納得がいく。今のわたしが着るべきものは。
「それじゃあ、飛鷹さん。ご武運を」
「うん、頑張るわ」
 工廠を出て、艦娘用の寮へと歩いていく――その途中。
「飛鷹!」
「あ……提督」
「体調は大丈夫か? もう動けるのか!?」
 あまりにも心配そうな表情で。必死で。
「大丈夫。だから明日、色々と話をさせて?」
 だから安心させようとした。そうしたら、提督はぽかんと口を開けて。え、何か変な所があった? もうバレた? そんな焦りが浮かびかけたと思ったら。
「分かった。朝から開けておくよ」
 そう言って、彼は笑顔で手を振った。わたしは部屋に戻ってから、彼の表情を思い返していた。どうしてだろうと考えて……結局その日は分からなかった。
 そして、今日に続く。


   *


「全く、余計なことをしやがって」
 執務室にはわたしと提督と、そして一人の妖精がいた。妖精は首から「ごめんなさい」と書かれた札を掛けている。そう、先日明石と夕張に改装設計図を渡したあの妖精。ただその表情はあまり反省しているようにも見えない。細目で……違う、眠っている。あまりどころか全く反省の色が見えない。
「でもまあ、うん。本当は、俺が早く見せるべきだったんだな」
「いいって。提督、いつもみたいに気遣ってくれてたんでしょ?」
「まあ、そうだけどさ」
 結局、軍艦として現実に向き合おうとした――実際は全然できていなかったけれど――わたしに見せるのは憚られたみたいで。今更、どの面を下げて提案するのか。そう考えているうちにどうしようもなくなったという。わたしも、もしかしたら直接見せられていたらカッとなってしまっていたかもしれない。そういう意味では、妖精には感謝しなきゃ。
「それでね、提督。これ、似合ってる?」
 くるり、くるりと回ってみれば、スカートの裾がふわりと広がる。そう、今わたしが着ているのは……持ってきてはいたけれど、奥底にしまいこんでいたドレス。二度どころか、人前で着ることなんて一度もないはずのもの。ちょっと気恥ずかしく、まだ起きている艦娘もほとんどいない早朝に来たのだけれど……そうしたら、提督はもうこの部屋にいた。そして、わたしの服装から全て勘付いたみたいで。最初の一言は、身勝手を咎めるものだった。優しい言い方だったけれど。
「それでね、提督」
 今なら笑顔で向き合える。
「わたしに乗ってほしいの」
 背中の部分が開いたドレス。まるで……いや、きっとこのときのための構造。手をかければ、背中が開く。乗船場、収容人数一名の客船への。彼がわたしの中へと足を踏み入れたとき……これが現実だということを実感させてくれた。夢の叶う瞬間が、確かな事実であることを。彼がわたしに乗り込む――今のわたしは船の形じゃない、人の形をしている。だから、彼の右脚はわたしの右脚に収まり。左腕は左腕に収まり。そして、頭は頭へと。全身が入り、乗船口を閉じると。
「うわっ」
 急にバランスを崩す。しっかり立っていたはずなのに、なんて思ったら、急にバランスが取れて改めて立ち上がる。それはわたしが意識したわけじゃなくて。
「あー……あー。これって」
 口が勝手に動く。ああ、これってもしかして。
(提督が動かしてる?)
「飛鷹? あ、ああ。何かそうなってるけど……そうか」
 彼は言う。多分彼は今、操舵手のような役割になっている。だから、彼の意思でわたしを動かせる。客船のはずが客に自由に動かされている……なんて思ってしまうけど、でも。
「じゃあ、特別サービスということで」
 喋ろうとしたらわたしが口を動かすことができた――そのまま続けて。
「一名様だけの、豪華客船完全貸し切り旅……かな?」

 そして、眼前に広がる静かな海。水平線から昇る太陽。風に髪もドレスも揺れて。
「飛鷹……いえ、今日だけは」
――貨客船、出雲丸。出港します。


   *


 最初はわたしが動いてみせたけれど、途中からは彼がわたしを動かし始めた。ドレスというか、スカートってひらひらして落ち着かないな、とか。いつもより日差しがヒリヒリして感じるな、とかそういったことから、飛ぶ鳥をゆっくりと眺めたり、腕を大きく広げて全身で風を感じてみたり。気付けば、彼はわたしの体を自由に扱うことができた。そんなに簡単にできるものなのかな、と思ったけれど。彼は艦娘研究には自信があるからな、と誇らしげだった。
 そうして、一番遠い――少なくとも安全だと思われる島に降りて、今は一休みをしている。

「ふう」
 さすがに疲れたのか、わたしに入ったまま彼は横になった。そこは緑が広がる平原。ドレスはちょっと汚れそうだけど、今はそんなに気にしない。
「海の旅なんて、しばらくしたことがなかったよ」
 わたしの声で喋る彼の言葉はまだ少し違和感があるけど、むしろ大切な人を乗せているという実感がそれに勝る。今、確かにわたしは客船で。乗せたかった人を乗せているんだ。
 指輪を素直に受け取れなかったのは。もっともあなたとやりたいことができるか分からなかったから。一番の幸せが、見えていなかったから。でも、それを……少しだけ、果たすことができた。
 しばらく休んだ後は、帰り道。やっぱり帰りくらいは送らせてね、とわたしが主導権を握る。じゃあお任せするよ、と言って、彼はわたしの中でゆっくりと体を休めることにした。手足もきっちり収まっているのを考えると、本当に休めるのかは少し怪しいけれど。
「明石や夕張、あと駆逐艦の子たちにも感謝しないとね」
 実は、他の艦娘たちが周囲で哨戒任務にあたってくれている。今はまだ戦いの最中――でも、今日だけはそれを忘れて楽しんできてほしい、なんて。もしかして、みんな気付いていたのかもしれない。色んなことに。

(やっぱり、凄く快適だ)
「そう? ありがと」
 嬉しかった。全部、嬉しい。夢を果たして。大切な人を乗せて。二度も潰え、もう見ることすら許されないんだと感じた想いを現実にできたこと。彼の感覚が中に無ければ、まだ信じられなかったかもしれない。

 戻れば、また工廠で改装を行うことになる。まだ深海棲艦との戦いは終わっていない。わたしには役割がある、飛鷹としての役割が。だけど、それに悲嘆している場合じゃない。まだ果たしていない夢、そのためにわたしはまた戦いの海に向かうだろう。絶望じゃない。いつか終わる戦争の彼方を夢見て。

 いつか一緒に、サンフランシスコ航路へ――だから提督、これからもよろしくね。

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