「深海棲艦、島に棲む」
(MELODYHOUSE 艦隊これくしょん 深海棲艦合同誌 ―深き海より― 初出)



 乱雑に切り開かれた土地、雨を避けるためだけの申し訳程度の屋根。手入れも行き届かず廃墟のごとしこの地はまるで幽霊の住処。いや、それは正しいのかもしれない。今この場所にいる私たちは……生命の理からはきっと外れてしまったものなのだから。
 青く広がる光景を見下ろす。それは私たちのかつて逝ったのであろう場所、そしていつか還るはずだった場所……海の底へと続く道。私の、一番怖れる場所。私は、どうすればいいのだろうか――どれだけ考えても、その答えは出そうになかった。
 深海棲艦。正体不明、目的不明、何もかも不明。これが人間や艦娘たちによる私たちの存在そのものに言うことができる現状。しかし、それは嘲笑うべきものでも不満を抱くべきものでもない。現に、私も分からないのだ。何もかもが分からないわけではない。だが、大差は無いだろう。ともあれ、私は深海棲艦、それが多数抱える戦艦のうちの一隻、だったはずだ。しかし、今はどうだろうか。私の艤装は壊れ、残ったのは人のような身体のみ。
今の私は何だ? 何のためにここにいる?
「アア……」
 考えるなんてことをしてこなかった私にこれまで言葉は必要無かった。考える今ではあまりにも不自由だ。せめて、誰かに問えればよかったのだが。いや、それで満足する答えは得られるのだろうか?


 日数など数えていない。そのためいつだったかはもう覚えていないが、その日が全てであったことは確かだった。
 深海棲艦と艦娘は現在、領海の奪い合いの様相を呈している。知る限り、最初は深海棲艦が優勢であったが、最近では艦娘の戦力拡充が進んだことで互角、あるいは艦娘に戦局が傾いていると言われた。戦力の増強は深海棲艦も多々行っていたはずだが、どうやら艦娘には「提督」が付いている点こそが近頃我々が劣勢となっている理由の一つではないかと言われた。しかし、残念ながら私たちのところに提督に相当する存在はいなかった。他の海域であれば、いるのかもしれないが。一方でそれ以外にも何か理由があるのではないかとして、調査が進められているようだがその調査結果は今の所出ていないらしい。
 そんな中、私のいるこの海域も勢力の境界線が後退したことにより作戦行動における主戦場と化した。それまでは偵察任務に付いていたと思しき駆逐艦を発見次第追い払う程度の動きしか要求されなかった私も、遂に複数隻からなる艦隊の一員として艦娘たちの連合艦隊と対峙することとなった。あのときは思いもしなかった、敗北を喫することなど。侮っていたのもあった、いや、もうどのような理由を付けても意味は無い。私たちは負けたのだ。

『ソンナ……イヤ、モシカシテ……コレ、で、よかっ……』
度重なる砲撃により蓄積された損傷、そして駆逐艦から放たれた酸素魚雷の一撃によって姫クラスのような艦が沈むその瞬間を、怒りに塗り潰された表情からそれが消えた瞬間を見て私は諦めた。思えば、いつか分からない遠い昔にも同じような思いを抱いた気がする。そんな懐かしい絶望感に身を委ね、私もまた敵艦の砲撃の前に沈むこととなった。見れば、艦娘たちの目は私たちとは違っていたようにも思える。そんな違いが、この結果を生んだのかもしれない。薄れゆく意識の中、そんな一つの発見は私に安らぎすらもたらした。そして、私は終わる。
そう思っていたのだが。


 気が付いた。もう目覚めることも無いと思っていたのに、気が付いていた。どこまでも沈んでいくと思われたこの身体の半分近くが水面より上にあり、見渡せばそこは砂浜だった。身体は痛みを発していたが、腕も脚も動く。運よくと言うべきか、それとも運悪くなのだろうか。どちらにしても私は生き残っていたのだ。
しばらくは意味も分からずにぼんやりとしていたが、そのままじっとしているわけにもいかずに立ち上がり、現状を把握することとした。すぐに気付いたのは、艤装が完全に壊れていたこと。とはいえ、仕方がないことだろう。沈んだと思うくらいの出来事なのだから、完全に壊れていなくとも整備無しで再使用など不可能だったはずだ。早々に切り捨て、次に行うべきことを考える。
そのときにふと思ったものだ。そういえば、私は深く考えたことがあったかと。考えてみれば、誰かの指示ばかり聞いていたようにも思う。湧いて出た疑問も気になったとはいえ、今行うべきことを優先するために置いておくこととした。

 私が流れ着いた場所は何の変哲もない小さな島だったのだが、その外周を一通り歩いてみると私同様に流れ着いた者を数名発見することができた。戦艦や航空母艦……元、だろうか。そういった面子ばかりが見つかった。おそらくだが、比較的小型の艦は何とか逃げおおせたか、或いは致命的な一撃を貰って即死したかだろう。一方で上を見ると姫に分類されていたような者もいた。姫とはいえ装甲空母姫――比較的数が多く、優先的に駆りだされやすい艦だったが。当然と言えば当然だろうか。戦艦棲姫のような主力艦は念を入れ、確実に撃沈されたことだろう。
 各々が意識を取り戻すのを待つ間、今度は以降の行動について考えた。私の艤装は壊れていた。いや、私だけではない。ここに流れ着いた者、全員の艤装は少なくともそのままでは使えないほどの損傷具合であった。いくら深海棲艦とはいえ人型の部分が魚のように自在に泳げるわけではない。あくまで艤装があってこそできることだ。すなわち、今の私たちは海に出られないことになる。事実上、この島に閉じ込められた形となってしまったということ。気付くまでに長い時間も必要無く、一人で無気力に苛まれていく。
 
 少しの時間が経ち、同胞たちが目を覚まし始める。その反応は様々で、まだ交戦中であると思っていた者から、生への執着からか沈まなかったことを喜ぶものまでいた。そういえば、同胞の顔もよく見た覚えが無い。同じ状況であってもこれほどまでに感じ方が違うのかと思うと、何だか面白い。果たして戦闘中はどのような表情だったのだろうか。指揮を執るような鬼や姫は艦娘や人間に恨みを持つものが多く、言葉を話すのもそういった者ばかり。だから思い込んでいた。私たちには怒りや憎しみしか無いのだと。ただ、よく目を向けて見ればその度合いも大小様々であり、そして最大の関心事も変わってくるのだ。形が形とはいえ、戦いから解放されたような現状だからこそ感じられるのかもしれない。もしかしたら、沈む瞬間の姫の表情もまた同じ所から来たのだろうか? 沈むこともまた、解放なのだろうか。
 ただ、やはり現状を伝えると彼女たちは一様に沈黙した。この島を囲む海において、深海棲艦は負けたのだ。一切の補給は期待できない。頼れるのは自分たちだけとはいっても艤装は壊れ、海に出ることは不可能。戦場に戻ることは望めない、そればかりか何もできることが無い。打開策は見えなかった。
 結局しばらくの間、私たちは何もしなかった。私たちは知らなさすぎたのだ。ただ艦娘と戦うのみが存在意義である、もしくはそう信じていた私たちからそれが奪われた以上、本当に何もするべきことは無いのだ。そうとしか思えない。

その中で、いっそのこと海に身を投げ出そうかというような者もいた。確かにそれが正しい形なのかもしれない。言われているような私たちの存在を考えれば、そして本来起こるべきことを思うならばそれが自然な流れであるとも言える。せっかくなので、私は彼女を見届けようと思った。何かが見える気がして。
しかし、その海を目前にして彼女は立ち止まった。
「コワイ」
 彼女がか細い声で絞り出した声。それを聞いて私もはっとする。目の前に広がる海。少し前までであれば縦横無尽に動けたであろう広大な世界。だが、それが。
「コワイノ」
 膝から崩れ落ち、震える身体。どうした、と声をかけることもできない。その言葉を聞いた途端に頭の中に何かが流れ込み――意識を他に向ける余裕が無かったのだ。
 それは、沈んだ記憶。最近も聞いたような爆音に混ざり、誰かが叫ぶ。誰かが怒る。誰かが……自分が消える。
 深海よりも前の断片。それが黒く染まり、

 いつの間にか、二人揃って私たちは倒れていた。
「アア……」
 自分のことすらよく知らなかった私が、ようやく分かった数少ない事実。それは、私は海が怖いということ、そして私は本当に何も考えずに戦っていたのだろうという事実だった。恐ろしいものにすら気づかなかったのだから。
 近くの海が見えないように、遠くの空を見上げる。そこに明日は見えなかった。目を覚ましてなお震え続ける彼女に肩を貸しながら、私たちは海から離れていった。距離も、心も。
 もし彼女がそのまま海に沈んだのならば、私も後を追ったことだろう。気付かないままに海に沈み、それから気付いたのだろうか。途方もない恐怖に。


 無為な日が流れ続けている。今でも、何かを食べることもなく、何をするでもなく私たちはここにいる。雨に打たれることだけは避けたくなり、開けた場所に簡単な雨避け場は作られた。だが、それだけだ。それから先に何の変化も無い。
 高台から海を眺め続ける……吸い込まれそうな青。これほど遠ければ恐怖も和らぐが、それでも少しクラクラする。同時に、彼の青い世界は私に問うてくる。陸においてお前に意味があるのか、と。聞かれても分かるはずがない。今の自分たちはかつての戦いの名残でしかないのだから。
 そうして今日も無為に終わる……そのときだった。海の向こうから何かが近づいてくる。この島に向けて。遥かに遠くから、しかし確かに向かってくる。

 思わず息を飲んだ――感覚で分かった。近づいてくるのは艦娘だと。よく考えてみれば当然の話だ。もうこの一帯は艦娘の領分。むしろ、今までよく島を調べようとしなかったものだ。目ぼしい資源が無さそうだと思っていたのだろうか。事実、そうであるにしても。しかし、これこそ深く考えている場合ではない。


 話す経験もやり方も持たないもどかしさに震えつつ身振り手振りで同胞たちに伝える。しかし気付いたのはその後だった。伝えて……どうすればいいのか。
この島へと漂着したあの日は艦娘への怒りに燃えていた者も、あまりに長く過ごした何も無い日々のせいで怒りどころか艦娘への、いや何もかもへの関心すら失いかけていた。やはりできることなど無かったのだ。立ち尽くす他に。どれだけ時間が経過したかも分からないうちに、足音が聞こえてきた。撃たれるだろうか。いや、もうそれで終わりでいいかもしれない。どのみち、今ここにいること自体がおかしかったのだ。そうに違いない。
そして、足音が消え、私の目の前に奴らは現れた。

「深海棲艦……!? 何でこんなところに!」
 艦娘……と思しき少女たち。おそらく、駆逐艦か軽巡洋艦辺りだろう。数の少ない戦艦や空母はほぼ資料を見て覚えていたのだが、小型の艦についてはほとんど覚えていなかった。当てれば沈む、くらいの認識でしかなかったから。今思えば、慢心も甚だしい。
 見れば、艦娘たちも艤装はほとんど付けていなかった。艦の艤装などというものが陸で使えるか否かなど知りはしなかったが、少なくとも即座に撃たれて終わりということは無いのだろう。だが、見つかった以上は終わっていることに違いは無い。最前に立っている一人がまばたき一つすることなくこっちを睨みつけてくる。海の上でも散々見た表情だ。だが、今となってはあの頃のように返せない。長い無の時間が艦娘に対する敵対心すら削ぎ落として久しい。
「司令部に連絡を……」
 敵対するものとして、妨害せねばならない行動だ。だが、やはり動く気が起きない。最初から諦めている以上は――

「待って!」
 だから驚いた。まさか止めようとする者がいるとは。思わず周囲を見渡す。しかし、同胞たちも同じく戸惑っているだけで……いや、一人震えている者がいた。あのとき海を怖れた彼女がいた。しかし、声を上げたようには思えない。か細い声ではなく、確かに響いた声が……まさか。
「何だか様子が変よ? ね、ちょっと話を聞いてみない?」
 艦娘の一人だ。声を上げたのは……ただ呆然とするしかない。それは信じがたい行動。敵である以上は撃つ。それが当然だと思っていたのだが。
「ねえ、そこのあなた」
 艦娘が近づいてきた。私の所に。
「……ッ?」
「元気ないわね」
 また予想外の一言。聞くならば、何をしているかだろう。同胞たちも訳が分からないようで、困惑の面持ちで顔を見合わせている。私も何の反応も返せない。そんな気持ちを知ってか知らずか、その艦娘は私だけでなく周囲の顔を一通り見ると、今度は別の顔に向かってまた驚くべきことを言って見せたのだ。

「しっかりご飯とか食べてるの?」
「ゴハン……? イイエ……」
「駄目よ、しっかり食べなきゃ。元気も出ないわ」

 後ろで震えるあの艦にも。
「最近やってることってある?」
「ヤ、ヤルコト……ナイ」
「うーん。あ、そうだ! 花を育てるとかどう? あ、種が欲しいか。それなら持ってきてあげるから」

 一通り話し終えると、その艦娘は仲間の元に戻り、何かを話し始めた。それを見守ることくらいしかできない。不意にその艦娘の顔がちらりと見える。それは、私には分からない表情。あのような表情を見せる者は、見たことが無い。
いや、似たものなら見覚えがある。同じく戦艦の深海棲艦の一隻……だが、似ているようで違う。何だろうか。黒と白、とでも分ければいいのだろうか。私たちの持つ怒りや憎しみが、私のかつて見た同胞のあの顔の裏に見えた。だが、この艦娘にそのようなものは見えない。だから、やはり知らない表情なのだ。
 もう一度彼女、そしてその仲間がこちらを向くと、話しかけてきた一人以外も、先ほどと比べると表情に緊張は見られない。それでも目つきは厳しいものが多かったが。

 艦娘たちが近づく。今度は何を言う気なのだろうか――ただそれを待つ。すると、次に出てきたのは言葉ではなかった。差し出されたそれに触れると、初めて感じる……しかし遠い昔にいつも触れていたような、不思議な感覚が私の手に伝わってきた。


『……ナニカ、デタ』
『ナンダロウ、コレ』
『ミテ、コレ……キレイ、ダヨ』

 流れた。また日が流れた。そして、また次の日を迎えて、明日を待つ。依然として、日数を数えるなんてことはしていない。だが、大体の目安は分かるようになった。一周目のことを思い出し、今は三周目……何の周期かと言えば。
「ミテ、メ、デタ」
 私は同胞の一人に……友人に連れられて開けた一画にやってきた。水で湿った土から、緑色の葉がそっと地上を伺っている。これが三回目だ。最初は一体何が起こるかも分からなかったが、この後小さな葉が成長し、いずれ花が咲く。最期に種を作り枯れていく……そしてまた種を植えればいつか芽が出る。何度も見れば覚えるというもの。
「ドウ?」
 彼女が表情を見せてくる。海を目の前にして震え、艦娘を前にしてまた震え、何もかもを怖れるかのようだったその面影は無く、今では以前出会った艦娘も見せたようなもの……笑顔、というらしい表情が浮かぶ。それを見ると、私も思わずつられそうだ。
「アア」
「アア……ジャ、ナイ。イツモソレバッカリ」
「ア、アア……」
 駄目だしされてしまった。物事を考えこそすれ、結局今でも口に出すことは無いためにどう言えばいいのか分からない。こんなにも様々なことを考えているのに、私が出す声なんて「ア」だけだ。相変わらず、どうやって声を出せばいいのかも分からないまま。もう少し喋る練習をしないといけないだろうか。艦娘たちは流暢に喋っていたな……そんなことを考える。いずれまた会うこともあるだろうか。
 そういえば、昔はどのように喋っていただろうか。

「ドウシタノ?」
「アア」
 昔のこと。それも、私が私でなかった頃……きっと、深海棲艦となる前。一体何だったのかは分からない。人間の類だったのか、艦だったのか。どれだけ深く話し方を思い出そうとしてもそのイメージが湧かないのだから、艦だったのかもしれない。真相は誰も知らないが。ただ、もしそうなのだとしたら今地上で暮らしている自分を考えると、何だか笑えてしまう。奇妙な話だ。
 地上で、友人と共に花を愛でるなんて、艦船のすることではないだろう。普通は。もしくは、昔は。
「ア、ワラッタ」
 友人の指が頬をつく。ひんやりとしているが、私にはこれが心地いい。暖かいものも、今では嫌いではないが。お返しとばかりに私も頬をつんつんとしてやる。やめてと言うけれどやめてはやれない。楽しくなってきてしまったため、芽を踏まないように離れてからじゃれあってみる。頬をつねったりわしゃわしゃとしたり、時間を忘れて戯れる。空が青から赤く染まり始めた頃には仰向けで笑い合う。
つくづく思う……信じられないような時間だ。考えてみれば、今もどこかで戦いが起きているはずだ。深海棲艦と艦娘が戦っている。そんな時代で、私たちはそこから離れてこんなことをやっている。
そう……艦娘。戦う相手としか思っていなかったというのに、一度戦場から離れてみれば彼女たちは全く別の顔を見せてきた。忘れてしまいそうになる、本来の関係を。でも……

「ドウシタノ」
「……アア」
 これでいいのだろうかとも思ってしまう。そう、今もどこかで同胞が戦っているのだろう。それなのに私たちはこんなことをしていていいのかと。もちろん、分かってはいる。補給不能、艤装破損の状態ではどれだけ使命感に燃えようとも何もできることはない。しかし、そうであるとしても。
 何も無かった頃には考えもしなかった。深海棲艦、その全体に何も寄与できていないことは変わらない。なのに、どうして?

 友人にそっと触れようとすると、すぅ、すぅという音が聞こえてきた。見れば、彼女は口元に笑みを浮かべたまま寝息を立てていた。起こさないように手を引く……そのとき、「どうして」に理由が見つかった。
 一度知ってしまった以上、新たな艤装を用意されてもまたあの海に出られるようには思えなかった。戦場と今の落差。それが作りだした感情。
『ゴメン、ナサイ』
 喋り方の分からない言葉を心の中で呟く。もう、あの戦場に私は帰れない。だって、今のような時間を知ってしまったら。


 ――海が、怖い。今でも、思い出しそうになる。沈んだ日と沈みかけた日を。ただ、そう言ってもいられない。

 数多の花の周期を経た後に、あの艦娘は再び目の前に現れた。私たちも、彼女たちも変わらぬ姿。変わったのは互いの表情、そして互いの関係。私が享受した日々に生きる中、世界は確実に動き続け、いつしか全ては終わっていた。私はその瞬間、何をしていただろうか。眠っていただけかも、あるいは花を見ていただけかもしれない。
 艦娘たちは言った。終わった、と。それ以外は話さない、代わりに手渡されたのは一枚の紙。そしてもう一つ、何故か彼女たちが持ってきたものは見覚えのある艤装。かつて壊れたそれに似た、しかし砲撃機能の取り除かれたもの。
『だから、これからは……ね?』
 艦娘に促されるがまま戸惑いつつ、そして海を怖れつつ私は再び艤装を付けた。懐かしい冷たさが身を包むようで、しかし以前とは違う。慎重に水面に足を乗せれば、いつかと同じように私の身体は沈むことなく立ち続ける。否が応でも戦場の光景が脳裏に浮かぶ。そんな私の両手に、暖かい手とひんやりとした手。あのときの艦娘と、そして曇りの無い笑顔を見せる私の友人。手を引かれて少しずつ島から離れていく。後ろからは他の同胞も付いてくる。不思議な感覚だった。恐ろしい海が、どうしてかは分からないが優しく微笑んでいるように感じるのだ。水面は穏やかに、空に輝く太陽が照らして。気が付けば、艦娘が手を放しても私は焦ることなく海の上を滑っていた。

 私は深海棲艦の一隻に過ぎない。その上、戦線を離脱した以上は何も果たすことができなかった。艦娘たちが健在であることを考えれば、深海棲艦は負けたのかもしれない。だとすると、やはり思うところはある。この海に沈んだ同胞たちは私たちのことを裏切り者と罵るだろうか。
だけど、その海は私に牙を剥くどころか優しく導いてくれる。ふと、かつて私の目の前で沈んだ姫のことを思い出した。すごく穏やかな表情で……

難しく考えているのを察したのだろうか、変わらず手を握り続ける友人が突然私の前から横に並んできた。
「タノシイネ」
「タ、タノ……シイ?」
「ウン。コレ、トドケルノ」
 彼女は何か袋を取り出して私に見せた。花の種だと言う。あの綺麗な花の光景を拡げたいのだ、と。そんな彼女を見ながら考える。たのしい――それは、私の知らない言葉。ただ、彼女の表情から見るとそれは悪いものではないようだ。
「タノシイ……」
まだおぼつかない発音で、初めての言葉を繰り返す。何だか、気分が晴れてくるような錯覚を覚える。いや、もしかしたら。
「キイタノ。タノシソウッテ」
 彼女が艦娘たちを指さす。それから間もなく、その指が私に向いた。
「アナタハ、タノシイ?」
「ワタシハ……」
 たのしい――その意味は、何だろうか。彼女が普段感じていたことなのだろうか。だとしたら、私も言えるのではないだろうか。

「タノシイ、ヨ」
 そうやって言えたことが、私がここにいる意味だろうか。彼女の笑顔が、それを肯定してくれている気がした。



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